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丸山健二『真文学の夜明け』柏艪舎 (2018) 読了

引用元:版元ドットコム

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メモ

 

"商業優先のやり方を改め版元の規模を限界まで縮小し、目利きにして凄腕の編集者がこれは世に出したいぜひ出すべきだと心の底から思える作品をどうにかして見つけ、しかし赤字を出してはならぬよう長いスタンスで黒字が出ればいいという信念のもとに出版することが当たり前になる状況へと移行するしかなく、そんなことは夢のまた夢であると一笑に付することはたやすくても真の文学が生き延びる真の道はそれ以外にない。" 『真文学の夜明け』P451 

 

"本来文学こそが開拓すべきはずだったもっと高度で気高い感動の世界は単に難解であるという理由のみであまりに安っぽくあまりに幼稚な夢と憧れに心と頭がすっかり毒されたありふれた活字中毒者から敬遠され排除される"(以下省略)『真文学の夜明け』P498

 

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感想

 

権力、商業主義、既得権益、利害関係etc.

芸術につきまとうのはいつの時代もこれらの宿敵であったように思われた。

過去の作品、たとえば権威が認めなかった芸術作品などは数知れず存在しており、その鉱脈からかろうじて堀当てられた作品の一部が「古典」として存在していることは想像にかたくない。

 

・・・

 

 

深く考えれば考えるほど、そのあとにたどりつくのはやはり言葉の問題であるように思われた。

たとえば「感動」という言葉はそこに強弱だけではなく、奥行きを考えれば単に平面的ではなく多面的かつ立体的な性質を帯びていることが確認できる。

涙と誘う感動があれば興奮を誘う感動もあり、崇高さを感じさせる感動もある。

 

 

「感動させなければ芸術とはいえない」

この命題が単に涙を誘うだけであるとか、興奮を誘うだけであるという単一的な意味に捉えられているのがこの現代の頽落した芸術観であり、丸山健二氏の批判対象はそこにある。

 

 

単一的な意味によって理解された芸術観によって人々は小説の真の価値に気がつけず、芥川賞だとか直木賞三島由紀夫賞だとかの権威によって価値付けされた作品にも見きりをつけ、動画や音楽その他のエンタメに流れていく。

(そもそも権威によって商業化された芸術作品に真の価値があるとはいえないが)

自分が芥川賞の作品やその類いの作品にあまり崇高さをかんじずに、日々モヤモヤしていた感情が本書によって解消されたように感じた。

 

 

本書を読むに当たってはなだいなだの本が非常に参考になった。

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