ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)は「人間は自由なものとして生まれた、しかし至る所で鎖につながれている」という言葉で知られるように、人間の自然と文明との矛盾を徹底的に追求しました。彼の問題関心は、不平等の起源、自由の条件、共同体のあり方、教育と徳の形成といったものです。これらは18世紀的課題であると同時に、21世紀の私たちが直面している格差、制度の暴力、公共性の喪失、アイデンティティの断片化とも深く響き合っています。したがって、ルソーが現代に生きていたら何を読むべきか、という問いは単なる歴史的遊戯ではなく、現代社会の哲学的読解に通じます。以下、その理由を個別に展開していきます。
1. ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史』(みすず書房)
ルソーの『人間不平等起源論』は「農耕と定住が人間を不平等へ導いた」という直感的な洞察に基づいていました。スコットの研究は、農耕社会と国家が「穀物」に依存することによって人間を徴税可能な対象に変え、不平等と支配を制度化したことを示します。これはまさにルソー的問いへの最新の学術的回答であり、彼が現代に生きていれば必ず手を取るであろう一冊です。
2. デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明』(光文社)
ルソーは「自然状態から文明への移行」を不可避の道筋として描きましたが、グレーバーらは人類学的証拠を基に「人間はさまざまな社会形態を自由に選んできた」と論じます。ここでは「不平等は必然ではない」という新しい地平が開かれ、ルソーの問いに対して挑発的な修正を迫る書物となっています。ルソーはこの本を通じて、自らの「起源の物語」を書き換えることになったでしょう。
3. ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(新潮社)
ルソーが批判した「文明の腐敗」は、フーコーの視点では「規律と監視の制度」として具体的に可視化されます。人々を均質化し、従順な主体に仕立てる装置の分析は、ルソーが漠然と語った「社会の腐敗」を現代的に具体化したものです。フーコーを読むことは、ルソーに「自由と制度の矛盾」を解剖学的に理解させる道具を与えるでしょう。
4. アマルティア・セン『自由と経済開発』(日本経済新聞出版)
ルソーの『社会契約論』は、個々の自由を保ちながら公共的合意を実現する道を探りました。センの「ケイパビリティ・アプローチ」は、自由を単なる形式的権利ではなく「実際に選択可能な能力」として定義します。これは「人は本当に自由か」というルソーの問いを、グローバル経済と開発の文脈に延長するものです。現代のルソーにとって、必読の更新点となるでしょう。
5. マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(講談社)
ルソーは「人間本性」や「自然状態」といった概念を用いましたが、ガブリエルは「唯一の世界」という前提を否定し、多元的な意味領域の存在を主張します。これは「人間本性とは何か」というルソーの枠組みを根底から揺るがすものであり、もし彼が現代に生きていたら哲学的好奇心を強く刺激されたはずです。
6. ハンナ・アーレント『人間の条件』(筑摩書房)ルソーが探し続けたのは「公共性をどう成立させるか」でした。アーレントは「活動(アクション)」と「言葉」が人間を公共世界において現前させると説きます。彼女の議論はルソーの「公意」と重なりつつも、より多元的で対話的な公共空間を描きます。ルソーにとって、アーレントは「公共性の現代的継承者」として必ず読むべき存在です。
7. シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』(河出書房新社/新潮社)
ルソーの教育論『エミール』は男性中心主義的であり、女性を「ソフィー」として従属的に位置づけました。現代に生きるルソーは、その限界を直視せざるをえません。ボーヴォワールを読むことで、彼は「属性主義」に基づく思考の盲点を克服し、「自由」を性差を超えて普遍化するための新しい視座を獲得するでしょう。
8. ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』(藤原書店)
ルソーは「文明が不平等を固定化する」と直感しましたが、ブルデューはそれを「文化資本」「趣味の差異」の再生産として具体的に理論化しました。ルソーが現代にいたら、ブルデューを通じて「不平等の文化的メカニズム」を把握し、自己の批判を社会学的に精緻化するはずです。
9. チャールズ・テイラー『自我の源泉』(名古屋大学出版会)
ルソーは「自己への回帰」を強調しましたが、テイラーは西洋近代における自己の形成を思想史的に解明します。これはルソー的内面の思想を、現代的なアイデンティティ論へと橋渡しする書物です。自己と共同体をどう調停するかという課題において、テイラーはルソーの後継者的な役割を果たしています。
10. ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』(河出書房新社)
ルソーの文明批判を大衆的に敷衍したのがハラリの仕事だと言えるでしょう。神話・貨幣・制度といった「虚構」によって人類が統合されてきた歴史は、ルソーの「社会契約」を再考させます。ルソーなら、ハラリのポピュラーな議論に批判心を燃やしつつも、大衆的説得力の持つ力を認め、強く惹かれるはずです。
結語:現代におけるルソー的読書
この10冊を通じて浮かび上がるのは、「不平等と自由」「制度と腐敗」「自己と共同体」というルソーの古典的課題が、現代においてもなお更新され続けているという事実です。人類学、哲学、社会学、経済学、フェミニズム、歴史学といった多角的視点から、ルソーの問いは依然として生きています。もしルソーが現代に生きていたら、これらの書物を通じて「21世紀の社会契約論」を再構想したことでしょう。そしてその試みは、現代を生きる私たちにとっても避けて通れない課題なのです。