哲学は語る。

本の受け売りではなく、しっかり噛んでます。

宣伝ですみません

積ん読の本をメルカリで定価より安く出品しております。

「ドイツ医療倫理学の最前線」で出品している「motsu」が僕です。

このブログがどんな本で成り立っているのか、そのラインナップの確認だけでも構いません。

1年間で100万円以上本代に注ぎ込み、それを血肉にしてきた(かもしれない)と証明もできますので。その雫がこのブログにも影響を与えている(かもしれない)ことをお伝えしたく記事にしました。

失礼しました。

人生な草

構造と雰囲気。ジェンダーへの射程。

イライラは伝染する。笑顔も伝染する。図書館は皆静かである。僕もマナーとして静かにする。

であれば、「雰囲気」は伝染すると言い直せる。

そしてその雰囲気が構造として成り立っている場合(およそ図書館の例に近い)、おそらく雰囲気という名の慣習も伝染する。
そして人は感染に気づかない。

一部、身体症状にあらわれた人は咳をする。

それがジェンダーの構造。

構造主義としてのミシェルフーコー

キリのよい数字は都合の良い数字

1276円をキリが良い数字だから1200円にしてくれませんか?というコメントを頂いた。

であれば、なぜ1300円という数字は出てこないのか。

要するに、すり替えである。
キリが良い、という言葉を利用した新手の値引交渉。

都合が良いので1200円にして頂けませんか?と正直な一言がない限り、売る義理はないのである。
それは、悪意のない転売ヤーに近いからである。

ドンキホーテから学ぶこと

激安の殿堂 ドンキホーテさん

ドンキホーテから学べることがあります。

僕は昔、成城石井のバイトをしてました。
そこで先輩から言われた言葉を今でも覚えています。
「売場は山盛りでないと売れないんだ。」

僕は常に陳列を気にしました。
レタスはいつも山盛りでした。

その経験からドンキホーテが売れる理由がよくわかります。

売場をとにかく商品で埋め尽くすことで、心理的に、魅力的に映るのだと思いました。

ジェンダー。文化相対主義。普遍主義。平等主義。功利主義。厚生主義。

正直なところ、ジェンダー論は複雑系なみに難しい。

 

まず「男らしさ」や「女らしさ」という概念のない文化もおそらくある。

文化相対主義の立場で考えれば、ジェンダーの議論は行き詰ります。

 

では普遍主義の立場からすればどうだろう。

 

まず、普遍的なことを考えねばなりません。これもおそらく議論が尽きないでしょう。

 

さらに平等主義や功利主義など、あらゆる立場に立って考える必要があります。

 

こんな難しすぎる議論、僕にはとてもじゃないけど、無理です。

いつも閲覧とコメントありがとうございます。

僕は今、良い意味で忙しい生活を送っております。毎日楽しいです。

 

しかしそれがゆえに、なかなかコメントの返事が出来ないところであります。

 

申し訳ございません。

 

見ていないわけではございません。

 

僕と違う見方で切り込む方もいらっしゃるので、むしろ参考にさせて頂いております。

 

これからも日々考えたことを記事にして参ります。

 

本を書くようなつもりで書いておりますで、退屈と感じられる方にはつまらないブログになってしまうかと思いますが、僕は僕のやり方でこれからもやって参ります。

 

おやすみなさい 人生は草

誰でもできることに躍起になる人

儲かるからと、誰でもできるような仕事に手を出すのは危険だと思うのです。

もちろんそこから経験を積んで次へ進めればいいのですが。

自分の好きなことをやればいいと思うのです。

ビジネスで頭いっぱいの人は余程の才能がない限り危険だと思うのです。

才能とはIQとかそういう話ではないです。

このブログに何回も書いてますが、「好きなこと」とは何を意味するか。ここがわかってないと幸せにはなれないと思うのです。

「経験」という見えない価値

アウトプットが99.9%みたいなことを言う人がよくいます。

僕は5対5くらいですが。

まず、「価格」には構造があると思うのです。

以下、独断と偏見に満ちた見解です。
99%の人はそれが買うに値するか、または買えるかどうか判断できます。
50%の人はそれが価格に見合ってるか判断できます。
10%の人はそれにどんな価値が含まれるか円グラフで示せます。
1%の人は含まれる価格の資産価値や見えない価値(経験など)について、投資的な分析ができると思うのです。

なんでもかんでも価値だ、価格だ、というのはつまらないと思いますが。

100円の値引き交渉をする人たちってどうなんですか

メルカリのお話でございます。

買って頂けることは助かります。

しかし。

100、50円単位で値引き交渉をする人たちを僕は心配してしまいます。
もちろん応じてお売りします。
買う方ありきの僕なのです。

しかしこの先の人生、50、100円単位の小さなことで判断を揺さぶられるようでは、もっと大きな出来事が起きたら、立ちいかなくなると思うのです。

100万単位の投資ができるかどうか。
100万単位で物事を考えられるかどうか。

僕は今傷病手当で暮らしていますが、この一年間、クレジットで130万使いました。全く生活に支障はないです。(メルカリさんのおかげですが)

僕は株はやりませんが、いろいろな意味での投資はします。

安定、安定、安定という姿勢は、実は最も「不安定な心」を生み出すと思うのです。

価格は正義か

価格は誰にとっても等しい。

700円を持っていれば誰でも、日本のどこにいても700円のものを買える。

しかしその反面、「価値」がわからなくなる。

分かりにくいので例を使う。

200円500mlのA牛乳と、300円500mlのA牛乳があるとする。

同じ商品に対して値段が違う。
常識的には200円のほうを選ぶべきである。

しかし。
もし200円で売る業者が、「ギリギリ」の賃金で、「サービス残業」が横行しているブラックな業者だとすればどうだろう。

消費者には知らない「裏側」がいくらでもある。そして知りえない。

200円で売る業者がもっともっと成長して、もっともっと「サービス残業」が横行しているとすれば。
人はすぐ仕事を辞められるほど単純ではない。

そして価値もまた単純でもない。

非営利的行動。営利的行動。そして経済学の欠点。

僕がこの一年間で学んだこと、それは理系の分野には主観性が少ないこと、そして文系の分野には客観性が少ないということである。

経済学に詳しくないのだけれども、いくら緻密な数式で世界を予測しようが、やはり僕にはあまり意味がないように思える。

人間が営利的な行動「しか」しない場合、数式は武器になる。

しかし人間には情がある。
どこのお店で買うか、それを「投票」として考える思考法があった。
しかし、すぐにわかるのであるが、それは人間の「非営利的」行動と、「営利的行動」が含まれる。

「昔からの付き合い」でお客さんはそこに行く。これは「投票」であるはずかない。

「投票」について書きたいけれども、長くなるので割愛。

心を定量化できなければ数式は虚しいものになる。

学問はフラクタル構造

フラクタル構造とは、ある部分を切り離すと、それが全体と相似の関係にある構造のことをいう。

 

中学数学を忘れてしまった方に、相似についてさくっと。

相似とはパソコンの拡大、縮小を想像してもらうと分かりやすい。

 

ようするに、大きさは違えど、同じ形ですよ、という話である。

 

では何故このタイトルにしたのか。

 

トーナメント表を想像していただきたい。

 

トーナメント表はフラクタル構造である。

どこまでも、どこまでも、結局は ] この形の繰り返しである。

 

確率と統計があるとする。これは数学の分野である。

和声とコード進行があるとする。これは音楽の分野である。

 

何が言いたいのかというと、学問の構造は、最終的には決勝、つまり学問の統合がなされるのでは、というお話である。

進化倫理学認知心理学。神経経済学。政治哲学。

 

あらゆる学問はくっつき始めている。

察するに、いつか統合に向かうと考えられる。

僕が最も知りたいこと、

それはゲーデル不完全性定理が示すように、完璧な体系には必ず矛盾があるということである。

 

つまり。

勝戦はいつまでも見られない。

そういう解釈でいいのだろうか。

 

ゲーデルさん!!教えて下さい!!

 

 

 

 

 

ジェンダーと習慣

プロポーズは男がするもの。

これは男らしさなのか。
文化としての習慣になるのか。

スカートは女らしさなのか。

イギリスのある地方では、男がスカートを履く文化がある。

その地方ではスカートは男らしさなのか。

まず文化的な意味合いがある。

ジェンダーとは「平等」のためであると仮定すると、習慣と切り離すべきである。

構造の問題であって、共時的な話ではなく、通時的な話だからである。

その伝統(すなわち文化)をいきなり壊すのは、関東地方で、通勤ラッシュにエスカレーターに右に立つ人のようなものである。

「平等」と「習慣」を混合してジェンダーを議論することに意味はない。習慣を壊すことは、ある視点においては「強制」になる。

強制された「平等」を望む人はいないだろう。それこそ、マルクス主義の復活みたいではないか。

知覚。集団。孤独。

社会なくして孤独なし。

川で泳いでいるイワシを見つけたとして、「可哀相なイワシ」なんて思う人はいない。

しかし、水族館に1万匹いるイワシの集団から離れたところにイワシが一匹泳いでいたら「可哀相なイワシ」と思う人がいるかもしれない。

なんたる不条理。

知覚と感覚。

人間は太陽から見たら「可哀相な人」がいるのだろうか。

自己のパラドックス

人間の行動は「自分で決めたかどうか」によってモチベーションが変わります。
裁量があるとモチベーションが上がるのは経験で実感しています。

では次のお話です。

人は集団のなかで「自分」というもの、つまりアイデンティティーというものを誇りに持ってます。「自分は普通の人間じゃない」「あいつとは違う」つまり自己顕示をします。

にもかかわらず、自己の発達は、そんな「集団」によってあらゆる価値観が刷り込まれていきます。

「模倣的」であり「複製的」な「自己」、いわば「作られた自己」を誇りに思うなんて変な話だと思いました。