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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

読書日記1307

読んだ本

仲正昌樹『いまこそロールズに学べ:「正義」とはなにか? 新装版』春秋社 (2020)

島田裕巳前川喜平『政治と宗教 この国を動かしているものは何か』徳間書店 (2023)

オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』ちくま学芸文庫 (1995)

つづきを読み進めた。
(読書日記1306に収録)

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

ちょっとした仮説を立ててみた。日本人はなぜ生産性がドイツよりも低いのか。

根拠は薄いので、これから試行錯誤していきながら改良していく。

 

 

日本は標識や広告が多いという話を聞いたことがある。

公園にいけばボール遊び禁止、遊歩道に行けばスケボー禁止。街へ出れば広告、広告、広告。定期的にバニラバニラとうるさい広告宣伝車。新宿ではホストなどの宣伝者も見かける。

 

電車の中は広告、広告、広告。駅ではアナウンスが炸裂し、もはや騒音レベルでもある。

一分の遅れにも敏感な駅員は、電車が時刻通りに来ないことへの説明責任があるかのように、その理由を必死に説明する。やっとついた電車に乗れば、今度は車掌がその原因についての釈明と謝罪を入れる。

うるさいからとイヤホンをしてスマホを見ると今度はネットニュースが流れてくる。

 

 

サラリーマンは、常態化した情報の洪水に麻痺しているのか慣れたのか、さほどストレスにはならないだろう。

しかし自分はそれを疑う。

 

 

情報がシャワーどころではなく、もはやスコールのように降ってくる今の日本。

なにか、致命的なものを感じざるを得ない。

このたったごくわずかな、通勤の日常という、狭い世界のなかで起きている異常事態は、実は大きな日本社会の病理なのではないかと思ってしまう。

今回はそれを示す材料が少なすぎるので、導入というかたちで今後気がついたら更新していきたい。

 

・・・

『いまこそロールズに学べ:「正義」とはなにか? 新装版』

小室直樹の宗教社会学の知識を取り入れた今、改めてロールズについて読んでみようと思い読むことに。

本書を簡潔に要約した本や動画は相当数あるように思われるので、その真似はせず、自分なりに考えたことなどを書き残したい。

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

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法律を守ることは「神との契約」という側面を持っていた。

社会の法律が宗教の戒律によって成り立っているのは、三大宗教ではイスラム教だけであったが、その名残りは残っていると考えるのが妥当である。

アメリカが契約社会と呼ばれるのはプロテスタントの精神の名残りだと言える。

 

・・・

 

仲正教授によれば、「justice」という言葉はラテン語の「ius」が語源だとされ、「ius」は「法」「権利」「正義」の三つの意味を兼ね備えていたという。

仲正教授いわく、欧米の「justice」は客観的、日本の「正義」は主観的だという。

たしかにそうかもしれない。

「義」にはどこか武士道の名残を感じさせられる。

また、「正義の味方」といった表現は欧米から見ればおかしな表現だという。

 

・・・

 

 

正義論の位置付けについて説明がなされた。

倫理学でもないし、哲学でもない。公共経済学でもない。

ではなんぞや。

抽象的にはなるが、倫理と政治を結ぶ線が民主主義論を通過する、そういうものがロールズの「正義論」だという。

 

メタ倫理学という分野があるが、これは「善」などの概念を徹底的に分析し、明確にすることを目的とするようである。しかし概念の分析に終始していては制度論や方法論の話まで発展しない。ロールズは不要な分析は括弧に入れ、メタ倫理学からは脱却しているとされる。

 

仲正教授はロールズの議論の方向性について以下のように述べている。

"(・・・)現実の「制度」を支えている「正義」や、民主的決定の手続にモデルを求める、という基本的な方向性は既にはっきりと現れているように思われる。" P31

 

従って、「正義論」の目的は、正義に関わる概念の明確化ではなく、正義を達成するための制度や手続きに関する理論の構築だということが分かる。

 

・・・

 

「最大多数の最大幸福」(=古典的な功利主義)にはデメリットがあった。

ベンサム功利主義については読書日記1200あたりにまとめたので割愛。

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

仲正教授いわく、功利主義はぶれやすい。

自由放任主義になることもあれば、社会主義(=社会統制)に社会が振れる可能性があるという。

つまり、制度的に安定した「正義」の原理を確立しにくい。これがデメリットのひとつになる。

言い換えると、結果が重視されればされるほど、反比例して「ルール」がないがしろにされる。

最大多数の最大幸福という単純な言葉では、やはり単純な原理しか働かないということなのだろう。

ちなみに、功利主義の「幸福」とは「快楽」の意味でしかなかった。

 

 

本書を読んでいくうちに、ロールズは古典的な功利主義の良いところはそのままで、ダメなところは排除しているように見えた。

"功利主義的見解では、過去は過去のことであり、刑罰はそれが社会秩序維持の装置として有効に機能し、社会の利益を増大させる場合にのみ正当化される。" P37

 

 

功利主義は格差というものをどう捉えていたか。

自分はそこを学び損ねていたかもしれないと感じた。

「社会の利益」「最大幸福」といった表現に、個々の事情があまり勘案されていない印象を抱いた。

 

明日以降は、ロールズ功利主義の位置関係をもう少し自分のなかで明確にし、自分の言葉に沿ってその違いを説明できるようになれるよう意識したい。

 

・・・

『大衆の反逆』

オルテガ・イ・ガセットは凡人たちをこれでもかというくらいに罵倒している印象を抱いた。

裏を返せば、オルテガ・イ・ガセットのいう「平均人(凡人)」と正反対のことをして暮らせば、その人はもう大衆ではないということになる。

 

・・・

 

オルテガ・イ・ガセット「大衆の魂の基本構造は自己閉塞性と不従順さからなる」

 

"彼は、自分の外にあるものになんらの必要性も感じないのであるから、自分の思想の限られたレパートリーの中に決定的に住みついてしまうことになる。これが自己の閉塞のメカニズムである。" P97

 

大衆人は、自分は完璧な人間だと思っている。” P97

 

⇒この発言は執行草舟氏と重なるところがある。

『現代の考察』にたしか書いてあった覚えがある。現代文明の矛盾を作った原因は、個々が超越した存在(昔でいうならば神)を信じておらず、科学万能主義によって人間が傲慢になってしまったからだという説明だったと記憶している。

本を読まないことは、「過去の人や同時代人から学ぶことは無い」と言うにほぼ等しい。

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

"虚栄心の強い人は、他人を必要とし、他人の中に、自分自身が自分について抱きたいと思う意思の確認を求めるのである。" P97

 

Twitter2ちゃんねるを見ると、ちょっとした自己啓発の本や「○ews Picks」などの媒体で、有名人や知識人の披露する知識をかじった程度で何でも知った気になる人が一定数いるように自分には思われる。

彼らの知識は表面的なものだ。HUNTER×HUNTERで例えるならば、ヒソカのドッキリテクスチャー(薄っぺらな嘘)みたいなものだ。

オルテガがうまい表現をしている。

「思想の切れ端」「まったく内容のない言葉などの在庫品」

自分も気を付けたい。

 

・・・

 

"思想とは真理に対する王手である。" P101

 

"議論に際して考慮さるべきいくつかの究極的な知的態度に対する尊敬の念のないところには文化はない。美学論争が芸術作品を正当化する必要性を認めないところに、文化はないのである。" P101

 

"平均人は自分の中に「思想」を見出しはするが、考える能力をもたないのである。そればかりではなく、思想がその中で生きているきわめて微妙な領域がどこであるかさえ考えていないのである。" P103

 

 

ここまで読むと、オルテガの言う「自己閉塞性」という概念の意味が明確になってくる。

つまり物事をどこまでも自分の物差しではかり、他者の声にほとんど耳を傾けない。そういった人間の思考が「閉塞的」だということである。

 

"そこでは、普通の会話から学問を経て議会にいたるまで、客観的な規範を尊敬するということを前提としているいっさいの共存形式が嫌悪されるのである。" P104

 

つまり平均人は、理性的な議論すらできない自分勝手な人、といった意味合いだろう。

 

"最良の共存形式は対話であり、対話を通してわれわれの思想の正当性を吟味することであると信ずることに他ならないのである。" P104

 

ソクラテスの時代は誰もが広場で討論をしていた。

ソクラテスは性格がちょっと悪いと思うが、真理は対話なくして明らかにならない。そこはオルテガの言うところと一致している。言葉。されど言葉。言葉の価値とはすなわち文化の価値を生み出す源泉のことを指すのかもしれない。

 

"文明とは、何よりもまず、共存への意志である。人間は自分以外の人に対して意を用いない度合いに従って、それだけ未開であり、野蛮であるのだ。野蛮とは分離への傾向である。" P106

 

オルテガは「共存」が文化的な形式で、「分離」が野蛮の形式だと語った。

 

これでもか、というくらい大衆というものをバカにしているとしか思えないが、言っていることは概ね正しい。正しいのだけれども、ヘンリー・ミラーは「大衆を変えた偉人は誰一人いない」ということを言っている。この本の真の目的やいかに。

 

・・・

『政治と宗教 この国を動かしているものは何か』

ドイツでは公的に宗教を支援することがあるのだという。

フランスでは「ライシテ」がありトルコでは「ライクリッキ」がある。

千差万別で、正教分離の正しい在り方については、答えはないと自分には思われた。

その国の慣習に根差した制度作りが肝要だと考えた。

 

"日本だと憲法89条があって、公の財産や公金を宗教に出してはいけないことになっていますが、ドイツでは公の施設を宗教行事に使っていいという柔軟性があります。" P92

 

雑学として「津地鎮祭訴訟」について学んだ。

市が主催した地鎮祭は「宗教に公金を使っているではないか」と裁判沙汰になった。

結論は、最高裁が「目的は世俗的であり神道を援助、助成、促進するものではない」ので憲法違反ではないとされた。

 

次に首相の靖国神社参拝問題について軽く学んだ。公式参拝は本書の流れ的には「おかしい」と指摘されたが、社会は矛盾だらけで、知識のない自分にはこの問題を考えるのはまだ早いと感じた。

 

地道にゆっくり、塵も積もれば10000冊の精神でやっていきたい。

 

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