読んだ本
つづきを読み進めた。
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日記
美学から暫く離れていた。
記憶では、当時の自分は美学を小説のなかにいかに生かすかを考えていた。
そのあとに、美的と思われる文学作品もいくつか読んだ。
小説にとって美とは何か、美学の小説上の位置付けとは何か、といった問題意識を多少は持ちながら読んだ。
美的に見える小説は、どういったインパクトを自分に与えたのか。
改めて内省してみた。
各々の作家は、各々の表現の仕方が異なるので、どうしても「自分にとってはピェールに一番感化された」といった感想となる。
このように、「自分にとってこれは美しい」という表現、形式は、美学上では「主観的普遍性」と呼ばれるそうである。
第三者が反論する。
「いや、メルヴィルはちょっと私には分からないかな」と言われる。
第三者は第三者で「こういうものが美しい」という基準を持っている。これを「形式的客観性」と呼ぶそうである。
・・・
「美」と「快」について改めて整理した。
美はそれ自体で「快」的なものを必然的に与えてくれる。
美しい旋律、美しい佇まい、美しい夕焼け。
しかし逆はない。
快がそれ自体で美であるとは限らない。
楽しい買い物、ツーリング、気持ちの良い温泉。
自分はこの3つに美的なものを感じない。
それどころか、快楽殺人といった現象も社会にはある。
この3つが仮に美しいならば、満足と美を混合している可能性がある。
・空腹でラーメンを食べて「満足」したから「快」
・タイで赤い幻想的な夕焼けを見たから「快」
夕焼けをみて「満足」することもあるかもしれない。しかしラーメンと夕焼けの体験はどこか質的な差を感じる。
美の深さを思い出してきた。
昨日はドイツの生産性の高さについて、まず日本のことを考えてみたが、美学的な観点から生産性について考えてみるのも面白そうだと自分には思われた。
・・・
『いまこそロールズに学べ:「正義」とはなにか? 新装版』
要約本を要約するというのは明らかに愚行に思えたので、読んで思ったことだけを書き残したい。
1/4くらいは読んだだろうか。
自分は制度というものの限界について、帰り道、自分の言葉によって表現できる気がした。
制度は命令に近い。
例えば「応募条件:35歳以下」と書いてあったら、普通に考えればそれは「36歳以上は受け付けない」という意味であり、「36歳以上は応募してはいけない」という指示にもなり得る。
例外があるとすれば、そこには人間の主観が介在することになるだろう。
つまり、制度だけで正義に到達するということは、裏を返せば、正義に主観は不要であるということを意味する、と思えたのである。
人間は良くも悪くも、常に制度を超える( ≒ 破る)存在である。しかしその点においてのみ本来の人間性というものがあるように思えてならない。
「人間とは~である」と、どんなに膨大な文字を空白に埋め尽くしても規定不可能なのは、以上の制度の限界と同じ理屈だと思うに至った。
人間は規定されてはならない。規定不可能性こそが人間なのだと自分はノートに書き留めた。
・・・
『大衆の反逆』
引き続き読み進めた。
明らかにオルテガは庶民を馬鹿にしている。これくらいハッキリと物を書けるのは、時代ゆえか。今こんなことを書いたら社会から抹殺されるかもしれない。古典の魅力は忖度抜きで正直に語っているところにあると自分は考えた。
『我が闘争』の文化意義とはつまりそういうことなのである。
"文明を形成した原理が、あまりのも豊穣で適格であるがために、その実りは量においても精度においても増大し、ついには通常人の理解力を越えてしまうのである。わたしはこのような現象は過去に一度も起こらなかったことだと思う。過去のすべての文明は、原理の不十分さゆえに亡びたのである。ところがヨーロッパ文明は、まったく逆の理由で倒壊の危機にさらされている。” P127-128
”ローマ帝国が終わりをつげた原因は技術の不足である。” P128
"歴史とは、自分の背後に多くの過去すなわり経験をもつということである。歴史的認識は、成熟した文明を維持し継続してゆくための第一級の技術なのである。" P129
120ページあたりからは過去から学べ、歴史を学べ、とオルテガが何度も間接的に訴えている印象を抱いた。
"いっさいの過去を自己のうちに縮図的に蔵することこそ、いっさいの過去を超克するための不可避的な条件である。(・・・)過去のうちの何かを呑み込みえないままで残すとなれば、それは未来の敗北である。" P132
ここでもやはり、過去から学べ、でないと未来はないと言っているようにしか思えない。
"われわれが過去の中に転落せず、過去から逃れうるためには、過去の全歴史を必要とするのである。" P136
そして再び大衆への皮肉、批判が炸裂する。
(大衆を指して)"これは、贅沢が人間の中に生み出す幾多の奇形の一つである。" P139
"生とはこれすべて、自己自身たるための戦いであり、努力である。" P140
大衆は努力をせず権利ばかり主張する。そんな人間が社会をコントロールし始めたらもう社会は終わりだ、というのがここまでの筋であった。何度も何度もオルテガは繰り返す。歴史から学べ。思考しろ。内省しろ。努力しろ。
"十九世紀の文明とは、平均人が過剰世界の中に安住することを可能とするような性格の文明であった。(・・・)その背後にある苦悩は見ないのである。" P142
オルテガは口うるさい説教おじさんであったのかもしれない。しかし言っていることは正論なのでとくに反論することはない。
"われわれがわれわれの最も真正な運命から離脱することはまったく自由である。しかし、それはわれわれの運命のより低次の段階に囚われの身となることに他ならないのである。" P144
『大衆の反逆』は啓蒙書だったのかもしれない。
全体の半分ほど読み進めてそう感じてきた。
・・・
『大衆の反逆』を読み終わったら次はバーク『崇高と美の観念の起源』を精読しようと思うに至る。
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