はてなブログ大学文学部

読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

読書日記1309

読んだ本

近藤直子『黙らないための雑記帳:3.11以降、私たちは何処にいるのか』西田書店 (2023)

岩田靖夫ギリシア思想入門』東京大学出版会 (2012)

オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』ちくま学芸文庫 (1995)

つづきを読み進めた。

(読書日記1308に収録)

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

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日記

 

『黙らないための雑記帳:3.11以降、私たちは何処にいるのか』

紀伊國屋書店でひそかに気になっていた本であった。

ポイントが貯まったので購入。

ブログに書かれたものが書籍化されたみたいである。

立ち読みの時点から、この本の批評の内容に共感できるところが多くあった。

 

経歴を見ると文学と哲学に精通している印象を受けた。

 

年譜の1979年 二九歳の欄に以下のように記載されている。

"ハイデッガーの『存在と時間』に感銘を受ける。サルトル、メルロ・ポンティ、モーリス・ブランショミシェル・フーコーフーコーなど、あるいは「世界の名著」の大乗仏教コーラン、カント、ニーチェなどを読む。レヴィナスなどの読書会も開く。" P387-388

 

モーリス・ブランショと書いてあるのが渋いと感じた。

 

・・・

 

著者は匿名掲示板、2ちゃんねるの「偽善禁止」という言葉について触れていた。

自分もたまに見るが、「偽善禁止」というのは初めて知った。がしかし、自分の興味の対象はその内容というよりかは、「偽善」という言葉に対する世間の嫌悪感の「背景」を著者が見事に言い当てているところにあった。

 

"それは逆にいえば、わざわざ「禁止」にしなければ、他人からも、自分自身のうちからも、利他的な「善」の言葉がついつい出てきてしまうことを意味してはいないか?" P42

 

自分もいっとき、性悪説性善説について考えた時期があった。

ルトガー・ブレグマンとリチャード・ランガムの2冊は強烈だった。

nainaiteiyan.hatenablog.com

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

 

昨日、一昨日と、ロールズ関係の本を読んだことを踏まえたうえで、単純に人間を [ 性悪説性善説 ] で考えるのはナンセンスだと思うに至った。

人間はどこまでも規定不可能性の存在なのである。(説明不可能)

全く善い存在もなければ悪でもない。その矛盾を著者は端的についていると自分には思われた。

nainaiteiyan.hatenablog.com

(読書日記1308にも収録)

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

 

47項ではメディアとSNSについて書かれていた。読んで思ったのは、2010年代前半のSNSは、まだ今ほど強くはなかったように思う。今は明らかに変わった。SNSから拡散された情報がテレビの著名人を舞台から引き釣り下ろすほどの力を得た。

自分はこれを良い兆候だととらえている。これはメディアの怠慢の結果であり敗北である。

 

 

マスゴミと呼ばれた時点でメディアの衰退は始まったのかもしれない。

これからもますます弱くなっていくように自分には思われる。

自分の中では、コロナ禍がきっかけでマスメディアへの信頼はほぼ消滅した。

 

・・・

ギリシア思想入門』

古代ユダヤ教キリスト教イスラーム教の歴史を学んだことによってギリシア哲学へ関心が移った。ホメロスの作品の予備知識が欲しいという点もあった。三島由紀夫ギリシャへ行って何かを掴んだという話があった。

 

 

西洋人のぼんやりとしたイメージは「物事をハッキリ言う」。

アメリカ人の女性が強いと言われているが(真相は不明)、やはり物事をハッキリ言う心構えにあるのではないだろうか。

その精神が実はギリシア人の時代から既に始まっていたのではないかという仮説を立てることができる。

 

アリストテレス政治学』について、メモをとった。

"アリストテレスは、人間について「ポリス的動物」と「ロゴスを持つ動物」という二つの定義を語っている。すなわち、この二つの定義は人間の本質を別様に表現しているのだ、と理解できる。そもそも、ロゴス(言葉、理性)とは、人と人との語り合い、交流を可能にする原理であるが、さらに根源的に言えば、そのような交流を成立させる場としての共同体的存在の条理(ロゴス)をも意味している。ロゴスなき人間とは人間ではないが、それは、語り合うべき他者をもたない人間が人間でない、ということと同じである。この場合、語り合うべき他者は共同体的存在としてそこに現れる。その共同体的存在の条理としてのロゴスが「法」である。したがって、法の所有は、他者との交流をその本来の働きとする、人間本質の実現なのだ、と言わなければならない。" P12-13

 

 

どうしても日本の国会議員の語る「建前」と結びつけてしまう。

「法とは神との契約である」というキリスト的素養を持った西洋人の法に対する意識と日本人の法に対する意識は絶対に違うはずである。

そのわずかな差が小室直樹『危機の構造』に書かれている「アノミー」と繋がっているのだろうと自分には思われた。

 

法意識に関しては以下の本が参考になった。

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

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・・・

『大衆の反逆』

200ページ弱まで読み進んだ。

明日最後まで読みきりたい。

 

メモ

オルテガは専門家の専門分野が細分化していくなかで、自身の専門外の話でも専門家ぶって話す人がいることを指摘。「大衆のごとくふるまう」と表現した。

 

"彼らの野蛮性こそが、ヨーロッパの堕落の最も直接的な原因なのである。" P161

 

⇒とりあえず大衆的な人間が沢山いることがヨーロッパの病理の原因なのだ、と言わんばかりのオルテガであった。

 

"ところが大衆は、実際に自分が国家であると信じているのであり、勝手な口実をつくっては国家を動かし、国家を用いて国家の邪魔になるーー政治、思想、産業などいかなる分野でも国家の邪魔になるーー創造的な少数者を推しつぶそうとする傾向をますます強めてゆくであろう。(・・・)社会は国家のために生き、人間は政治という機械のために生きねばならなくなるであろう。" P170

 

"社会は奴隷化し始め、国家に奉仕する以外に生きる方法をもたなくなってきた。生のすべてが官僚化されたのである。" P171

 

その帰結として出生率の低下を言い当ててはいるが、官僚化の定義も書かれておらず、やや消化不良の読書時間であった。

 

集中力が明らかに落ちていたので、明日すべてまとめてみたい。

 

つづく

 

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関連図書

 

モーリス・ブランショの本

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

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