つづきを読み終えた。
(読書日記1288に収録)
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感想
いつものように最後までまとめてから感想を書き残したい。
まとめはあくまで最低限の範囲に留める。
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前回はジハードについて触れてストップした。
そういえば、今日もつづくイスラムとアメリカの戦争問題について、「単にお金が原因なのだ」と見る作家がいた。
自分はそのような短絡的な思考を決して信じない。
いや、仮に深い思考を経てその結論に至ったにせよ、その仮定を記述しなければ単なる感想にしか見えない。
その作家はお金が原因としか書いていない。
読者を舐めるのもいい加減にして欲しい。(そういった本に手を出す自分がいけないのであるが)
そういった本は数多く存在する。だが小室直樹の本は出典や引用の記載が多い。
これからも膨大な読解によって裏打ちされたような本を極力読んでいきたいものである。
なるべく引用が多い本を読むべきだと思っている。
では本題に入りたいと思う。
今回の記事は過去一番に長くなりそうである。
なんとかまとめきってみたい。
読み終わったあとのあの自己充足感は、今後のさらなる研究の糧になることは間違いない。
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"コーランには「聖書の読み方」についての指示が述べられている。そして、コーランに書かれていることこそが、聖書の最終解釈であると強調されている。" P308
前回にも書いたが、イスラムにおいて予言者は6人いる。
つまり、マルクスの歴史観とは対照的に、歴史は直線的であるということであった。
従って「不変」。
ユダヤとキリストはそうではない。
その証拠としてモルモン教を考えるといい。
聖書の解釈がころころ変わるということは、小室直樹の説明するとこでは「可変」的な歴史観ということになる。
このことについては前回にハッキリと書いた。
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アラブの高度な文明について。現代数学は「アラビア数字」によって成り立っている
中世は間違いなくアラブの時代であった。
(なぜアラブがヨーロッパの帝国主義に淘汰されたのかは後半に記載する)
1244年に十字軍との戦いに決着が着いたあとは、20世紀までイスラムがエルサレムを支配していたのは事実である。
(ちなみに第一回は1096~1099年。この戦いはキリスト教が勝利した)
小室直樹によれば、中世のアラブ人の識字率はほぼ100%だという。
また、英語で代数を意味する「Algebra」はアラブ語を語源にもつという。
"英語で代数のことをアルジェブラ Algebra と呼ぶが、この言葉はアラブ語をそのまま移したものである。もちろん、現在、我々が用いているアラビア数字も彼らによって開発された。" P305
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ギリシャ語が読めたアラブ人
マホメットは学問を奨励していたため、アラブ人の知識水準は高かったとされている。
本書によれば、彼らはプラトンやアリストテレス、ユークリッド、アルキメデス、プトレマイオスなどの文献をアラビア語に訳していたのだという。
小室直樹によれば、中世のヨーロッパ人はギリシャ語が読めない人ばかりだったという。
中世のヨーロッパは「暗黒」と呼ばれる場合が多いが、文化水準の低さがその要因なのかもしれない。
(詳しくは分からないため断言は避けざるを得ない)
日本人は西洋に劣等感を抱くことが少なくない。
小室直樹によれば、時にイスラムから見ればむしろ優越感すらあるという。
(過去の栄光とはいえども)
ここまで読めば、なんとなくは想像できる。
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ノートを振り返ると、メモをとっても本書の流れがさっと頭に入ってこない。
かといって、メモに時間を取りすぎると勉強のスピードが遅くなり精読となってしまう。
そうなると読書の楽しみが半減してしまう。
ここはこれからの自分の課題と言える。
メモ
"コーランはイスラムの側から戦争をしかけることを堅く禁じている。だが、相手が一方的に攻撃してくれば、話は別である。" P315
小室直樹によれば、イスラムは十字軍に勝利した1244年以降、ユダヤ教徒やキリスト教徒を迫害することはなかった。
これが本書の後半の命題、「テロと宗教の寛容は両立する」の最たる例である。
ただ、さすがに相手が一方的に自分に向かって攻めてきた場合は「正当防衛」を行う。
それはイスラムの教えだとされる。
"「汝らに戦いを挑む者があれば、アッラーの道において堂々とこれを迎え撃つがよい。だがこちらから不義をし掛けてはならぬぞ。アッラーは不義なす者どもをお好きにならぬ」(二 - 一八六)" P315
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17世紀頃のイスラム世界がいかに驚異的であったのかがつづけて語られた。
イエニチェリというトルコ軍は、敗れこそしたものの、軍楽隊を導入していたことはヨーロッパを感心させたのだという。
そして「行進曲」というジャンルがヨーロッパに生まれたそうである。
(1683年、ウィーンでイエニチェリとポーランド&オーストリアの連合軍との戦いがあった。「ウィンナー・コーヒー」はトルコ軍の持ち物が由来だとされる)
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なぜイスラムは近代化できなかったのか
いよいよ本書も終盤にさしかかった。
再度整理したい。
ここまでの話はすべては謎のままになっている命題「テロと宗教の寛容は両立する」に起因する。
言い換えると、「イスラムにとっての反米感情とはいかなるものか」である。
小室直樹はひとまず、なぜイスラムが近代化できなかったのかを分析する。
"なぜ、プロテスタンティズムでは金儲けを禁止したのか。キリスト教の教えで「金儲けは悪い」と言う場合、カネが儲かったこと自体が悪いと言っているわけではない。その動機としての貪欲が悪いと言っているのである。" P353
キリスト教は「信仰さえあればok」という、規範に縛られない宗教であることは小室直樹から何回も語られた。
自分はこのあたりがうまく咀嚼しきれない。
貪欲かどうかどうやって判断するというのだろう?
むしろ貪欲が活力となって、結果的に利潤をもたらした場合、それは人のためになってWin-Winでokにならないのか?
とりあえず読み進めた。
このあたりの大塚久雄による分析を引用する。
"「隣人たちがほんとうに必要としている、あるいは、手に入れたく思っているような財貨、それを生産して市場に出す。しかも、あの掛け値を言ったり値切ったりして儲ける、そういうやり方ではなくて、『一ペニーのものと一ペニーのものとの交換』、つまり正常価格で供給する、というやり方で市場に出す。そして適正な利潤を手に入れる。これは貪欲の罪どころではなくて、倫理的善い行いではないか。いや、端的に、神の聖意にかなう隣人愛の実践ではないか。そう問いつつ、彼らはさらにこう考えたのです。
もし自分たちが生産している財貨が、ほんとうに隣人たちが必要とし、手に入れたく思っているものであるならば、それは市場でどんどん売れるに違いない。そうすると、当然そこに利潤が生まれてくる。そうだとすると、その利潤は、商人たちの獲得する投機的な暴利や高利貸なととはまるで違って、むしろ隣人愛を実践したことの現れということになるではないか」(大塚久雄『社会科学における人間』岩波新書)" P354
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マックス・ウェーバーは資本主義の発展の条件として、資本主義に「徹底的に反対する」経済思想を要するとした
"「近代資本主義の発展は、資本主義に徹底的に反対する経済思想が公然として支配してきたような、そういう地域でなければありえなかった」(ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄訳・訳者解説より)" P344
このあたりをうまく整理するにはあまりに複雑すぎる。
本書を再度読み直すと、私見ではやはり「予定説」が資本主義の触媒反応となったことはポイントだと思われた。
イスラムには予定説はない。
このブログにも何回か書いたが、イスラムは「因果律=自由意志はある=非決定論的世界観」である。
予定説は、救われるかどうかはすでに「決まって」いる。
小室直樹によれば、予定説がないことは「伝統主義」が打破される可能性がないことを意味する。(エトスの変換)
また、「隣人愛」という概念がイスラムにはない。
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イスラムにはヨコの契約という概念がない
そうはいっても、イスラムだって経済があり契約があるではないか、という予測される反論に小室直樹は答える。
契約は神に対するものである。
「愛することを誓いますか」とは、結婚相手に誓うのではなく神に誓っている。
隣人愛は神が「隣人を愛せよ」と言っているので厳密には契約の一種になる。
従ってキリストには「ヨコ(隣人)の契約」という概念があるが、イスラムにはない。
"このような信仰においては、タテの契約がヨコの契約になるという余地はない。" P363
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結局のところ、答えは...
ブッシュ大統領(21世紀のほう)の発言から、イスラムへの無知が見受けられると小室直樹は語った。
イスラムもまた、ひとつの矛盾を抱えている。
結論としては、近代化(資本主義化すること)するには、イスラム教の教えを放棄することに等しいのだという。
「十字軍コンプレックス」というのはあまりに複雑で、今日は咀嚼しきれなかった。
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感想
本書はボリュームがありすぎて、一回の通読ではその量を抱えきれなかった。
十字軍コンプレックスというものがまだよく掴めないのと、「予定説のない日本はなぜ近代化できたのか?」といった細かい疑問が多く残されたままの点が大きい。
ハッキリ言って消化不良である。
しかしそれはとてもいいことだ。
何故なら本書を読んだことによって問いが多く得られたからである。
また、テロのことを少しだけでも理解できたことによって、お互いが理解し得ない帰結として「暴力」に走る人間の行動原理を垣間見ることができた。
宗教史は意外と面白い。
そうでなければ本書を一週間で読みきることはできなかったはずだ。それは断言できる。
小室直樹の博識に脱帽。
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読書日記1289
読んだ本
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日記
『クレーの日記』
メモ
"フォルムの動きとしての創生こそ、作品の本質だ。初めにモティーフありき、エネルギーの放出、精子。物質的な意味で、フォルムの成長としての作品は、原女性的。フォルムを規定する精子としての作品は、原男性的。私の素描は男性的な領域に属している。" P330
三島由紀夫も同じことを言っていた。
「フォルムさえあればいんだ」
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『強くなる本』
メモ
"一時私は絵筆をなげうってソルボンヌ大学に入学し、哲学や社会学、はておよそ芸術と無関係な民族学などを神妙に勉強しはじめた。虚無感に耐える支柱を、別な方向に求めようとしたのである。(・・・)大学は静かな雰囲気の中に、組織的に情熱的に知識を積み上げつつある。自分はその構成の一メンバーであり、崩れることのない確かな地盤の上にいるという信頼に、私はいい気分だった。" P78-79
"十八、九の頃、ニーチェやキェルケゴールにふれることによって、私の孤独感こそ実は正常であり、人間的論理につらぬかれているということを確信したとき、私の総身は歓喜にみちた。" P92
人間は形式を通して初めて美を認識する。
言い換えれば、形のない内容だけの美は存在しない。
ゆえに美に内容などない。これは真か?
形式を創造すること。
しかし形式なき美はなぜ存在しないのか。
実に不思議だ。
これは人間の認識能力と関係している。
こんなときにはカント『判断力批判』を読むのもいいかもしれない。
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関連図書