読んだ本
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日記
『日本人のためのイスラム原論 新装版』
つづきを読み進めた。(読書日記1285に収録)
昨日はイスラム教の教えにおいて「宗教の寛容」と「自爆テロ」は両立すると小室直樹が述べたが、その理由を知るには遡っていろいろと考えないといけない為、話が広がっていき、その途中でストップした。
「救済」の意味をたどることによってイスラム教の本質がみえてくるというのが本書の流れであった。
今日はそのイスラム教の救済の意味について読み進めた。
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今日は「予定説」に関して語られた。
"因果律はつねに働くとは限らない。それを示したのがヨブ記であったわけである。だが、そこからさらに一歩、歩を進めたのがエレミヤ書。" P206
現実として、神との契約を守れば(=規範を守れば)救済されるという話は嘘じゃないか、と感じている人が少なくなかった。そのため古代イスラエル人は徐々に因果律(教えを守れば救われる、破れば救われない)に対して疑問を持ち始めたというのは昨日書いた。
・キリスト教は決定的世界観
"キリスト教においても、すべての決定権は神に属し、人間はただそれに従うだけの存在であると考えるのだが、プロテスタントに至っては、そこからさらに一歩進んで、「
人間には自由意志がない」とさえ断言する(たとえば、ルターの『奴隷意志論』)。" P207
「自由意志がない」=決定論的世界観=予定説
『失楽園』の著者ミルトンは、予定説を批判。
「こんな神は尊敬できない」
(ちなみに、執行草舟氏によれば、『失楽園』の執筆は全て口語であるとのこと。ミルトンはそのとき失明していたとされる)
メモ
カトリックは予定説に反発した。
啓典宗教は呪術的要素を排除することによって成立した。
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マックス・ウェーバーによるイスラム教解釈
⇒イスラム教は決定論的世界観(人間には自由意志がない)と因果律(規範を守れば救われる、破れば救われない)を同時に抱え込む
”この複雑な神学的状況をマックス・ウェーバーは次のように表現している。「イスラム教のばあいは、(中略)宿命論的な予定説であり、したがって地上の生活の運命には関係があっても、来世での救いにはなんら関係するところがない」(大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫。一七六ページ)” P221
小室直樹による要約
"つまり、この世と来世に予定説と因果律を振り分けるというのが、イスラム教の出した結論であったというわけだ。" P222
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『漂白のアーレント 戦場のヨナス』
メモ
キリストはユダヤ人によって処刑された
⇒ユダヤ人嫌悪の原点
・西暦一世紀のユダヤ戦争について
(ユダヤ人は)"(・・・)ローマ軍との戦いに再び完敗を喫した。ローマ帝国は徹底的な弾圧を行い、エルサレムにローマ国の神殿を築き、土地の名称を「シリア・パレスチナ」に変更し、エルサレムからユダヤ人を追放した、故郷を追われたユダヤ人たちは各地へ離散することになり、そうした離散状態は「ディアスポラ」とも呼ばれる。" P36
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『ニッポンが壊れる』
ネット用語「無敵の人」は他人を巻き込んで自殺を図る。
大阪メンタルクリニック放火事件、京王線の事件、京アニ事件など。
かつて日本人は切腹し、まわりに迷惑をかけずに死ぬことを美徳とした。
ネットリンリ(誹謗中傷)などもいろいろと語られた。
加えてたけしは美徳の変容についていろいろと語った。
何が日本を変えたのか。
何が日本人を変えたのか。
その背後に監視社会、スマホがあることは間違いない。
自粛警察はボエシの自発的従属論的。
中傷によるネットリンチは何的か?
自発的スマホ従属的。
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関連図書