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読書日記1336

読んだ本

フレデリック・G・リーマー『ソーシャルワークの哲学的基盤ー理論・思想・価値・倫理』明石書店 (2020)

ピーター・シンガー『私たちはどう生きるべきか』ちくま学芸文庫 (2013)

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日記

 

『私たちはどう生きるべきか』

マキャベリは『君主論』のなかで、「性悪説」に基づいて人間の貪欲さ、愚劣さについて語ったとされているが、ナチスによる迫害が蔓延るなかで、自身の危険を冒してまでユダヤ人の救出に捧げた人たちをどう説明できるか。

 

 

本書では実業家の二人、ラウール・ウォレンバークと、オスカー・シンドラーの取った行動について語られていた。

ウォレンバークはハンガリー政府を説得してユダヤ人の強制移送を阻止したと書かれていた。(意訳)

シンドラーは自身の所有する工場に「労働者として必要」というていで、多くのユダヤ人を救ったと書かれていた。

 

 

シンドラー第二次世界大戦を乗り越えたが、ウォレンバークはソヴィエトによって殺害されてしまったと推定されている、と書かれていた。

 

「善か悪か?」の二分法は意味を成さない。

人はどういうときに善でありうるか。どういうときに悪になりうるか。

人はどこまで理性的でありうるか。

 

メモ

 

"倫理的に行動しているとき、私たちは自分の行動を正当化することができなければならず、その正当化は、理性をもったどんな存在をも原理上納得させられるようなものでなければならない。これが倫理の基本条件だということは、古代から、また文化の違いをこえて、認識されている。だがそれを最も正確な形で示したのは、オックスフォード大学の元道徳哲学教授R・M・ヘアである。ヘアが示したように、ある判断が道徳的だと言うためには、それは普遍化可能でなければならない。これで彼が言わんとしているのは、道徳判断は考えられうるどんな状況にも妥当するものでなければならないということではなく、自分の占める役割が何であろうと、それにかかわりなくその判断を指図する覚悟がなければならないということである。その判断に従った結果自分が損をするか得をするかにかかわりなくそうするということも、ここに含まれている。つまり、あることをすべきかどうか考えるとき、倫理的に考えようとするなら、自分の行動によって影響を受けるすべての人々の立場に身をおいた(そしてその人たちの選好をもった)自分自身を想像してみなければならない。これが倫理的に考えるということの本質である。" P313

 

"カントによれば、自分の欲求や性向から発するあらゆる動機を排除するときにだけ、私たちは道徳的に行動していることになる。" P326

 

・・・

ソーシャルワークの哲学的基盤ー理論・思想・価値・倫理』

 

 

この本は面白いと感じた。

いっきに第一章「政治哲学」を読み終えた。

内容としては、福祉国家に関する論考がメインであった。(政治哲学における福祉の位置付け)

 

アメリカの保守は「福祉はインセンティブを奪うので(やる気をなくさせる)逆説的に貧困を生む」と考え、リベラルは「貧困層に給付が十分に行き届いていない」と考える。

急進派は「貧困者は多く求めすぎている。しかし給付は不十分だ」と考えていたことなどが書かれている。

いずれも正論で、妥協点を見極めるのが課題と言える。

 

 

プラトンの国家論は緻密に設計されてはいるものの、国益に与しない者、使えない者を「奴隷」として容認している。

ソーシャルワーカーにとって、プラトンイデア論はここがネックであるとされる。

そういったことが書かれていた。

 

・・・

 

最低限の保障というものは国によって保障されるべきである、ということは概ね政治思想においては常識的であることがわかった。

アダム・スミス、ジェレミーベンサムフリードマンハイエクらの論客はいずれもそう考えていたと書かれていた。

 

 

しかし時代によっては福祉国家に対して否定的な時期も何回かあったとされる。

その理由というものは明確には書かれていなかったものの、国家が経済に介入するようになったケインズのあたりから、単純に自由経済には「大恐慌」という欠陥があることが分かり、幾分かは国によって配分することの重要性というものが世界的に常識になったのだろうと自分は考えた。

 

基本的に最小国家の支持派は「政府によって価格が統制されるとやる気が失せる」と考えているようである。

 

・・・

 

福祉は現場仕事が多いと想像される。

いずれもほとんどは民間の力によって支えられている。

その理由として、社員の増員が早いこと、競争の原理によって効率的な運営が成されることが挙げられる。

国が正規の職員として雇うには時間やコストがかかる。公的な機関では需要の増加、または減少に迅速には対応できない。

 

 

民間の強み、公的機関の弱みというものが垣間見えた。

このあたりはなかなか学ぶ機会がなかったので新しい知識として頭に入った。

 

・・・

 

次は民間の力が悪く働くケースが書かれていた。

リチャード・ティトマス『贈与関係』(1972)という論考がある。

批判はありつつも、そこで明かされたのは「輸血」をビジネスにすると供給不足になり、人的被害が発生するリスクが高いというものであった。

 

障がい福祉に関する仕事をしている自分としては、この民間と公共との連携というものをいろいろと考えさせられた。

 

つづく

 

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