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読書日記965

引用元:版元ドットコム

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三島由紀夫『文化防衛論』ちくま文庫 (2006)

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メモ

 

"しかるに世間・世の中という言葉は、右のごとき社会の意を現しつつ、なおその上に古い伝統に従って何らか場所的なもの、絶えず推移するものという意を含んでいる" P37『人間の学としての倫理学

 

 

三島由紀夫

"少し長くなりますが私の法秩序に対する考えを簡単に申しますと、私はこれからの日本にとってあぶない考えが一部にあると思う。それは秩序のためならイデオロギーなんかどうでもいいんだという考えですね。(・・・)というのは、あなたが言われるように日本の法律形態が非常にいい加減だからです。しかし、この法律形態のいい加減をうまく利用することができると思う" P265『文化防衛論』

 

 

アーレント

"「幸福」は「自己満足」である(『実践理性批判』)"『思索日記Ⅱ』 P463

"定言命令は、仮言命令とは区別される。別のものへの手段である行為は仮言的である。定言的とは、別の目的とは関連がないことを意味する" P467

"道徳哲学が明らかにするのは、人間の尊厳を可能にする条件である" P468

"(自律とは)自己のうちで発言する法則のみに従う" P460

 

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日記

 

ロクス・ソルス』はなんだかんだで100ページほど読み進んだ。

奇抜な小説であると思われた。科学の知識が足りないので理解できかねる箇所が多々あったが、なんだかSFのような、しかし文学的で哲学的な内容(心の哲学)を匂わせるものでもあった。

 

・・・

 

アリストテレスは、「最終目的はそれ自身において満たされるものでなくてはならない」と述べたとされる。

アーレントの日記にあった「定言的」の定義と一致していた。つまりカントの定言命令は閉鎖的なものである。閉鎖的というのは、別の目的とは一切関連がなく自己完結性だということである。

カントのいう「幸福は自己満足である」というのは、一般的な意味とは違う意味での「自己満足」であって、要するに「自己完結的」であると思われた。

 

 

和辻哲郎によれば、人間は個人でありながらも社会的存在であり、それが弁証法的に統一されていくということを述べていた。

そして社会的な生き物としての幸福の定義を以下のように説明する。

"人は社会人として生まれている(・・・)孤立させられても生を望ましきもの足れるものたらしめることとして定義する。それは幸福にほかならぬ" P57『人間の学としての倫理学

 

 

・・・

 

社会的存在としての人間と、個人としての人間がいかにして調和し得るのか。

それを追求するのが道徳哲学であるように個人には思われた。

また、『美学イデオロギー』を読むことによって美学が倫理学と道徳哲学と親和性が高いことをいよいよ確信するようになった。

 

 

"道徳哲学の一部としての美学は人間の感情や情念を分析し、感情や情念の中に普遍的な道徳法則を把握する潜在的能力が存在すると主張することで、情念と徳の両立可能性を証明しようとした" P17

 

 

ハンナ・アーレントは『思索日記Ⅱ』のなかでハンス・ブルーメンベルク『メタファー論のパラダイム』に言及し、メタファーは解答不能な考えるモデルであると書いている。

アナロジーは論理の飛躍を招きかねないが、美的なもの(音楽、絵画等)が持つ法則性を道徳哲学に応用することは昔から行われていたという点では、そこにある種の神秘性を感じた。

 

 

あらゆる論理の出発点は理性ではなく情動、心情である点を鑑みれば文学の営みが人間にとって無益なはずはないはずである。

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