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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

速読家、ラブレターだけはゆっくり読むの巻

1. 導入 ――午後の光

ポストを開けると、青い封筒が一通あった。
夏の光は、まだ湿っていた。
差出人の名前を見て、指先が少し冷たくなった。
僕はそのまま、通りを歩いた。
舗道は白く乾いていて、誰もいなかった。

 

部屋に戻ると、窓を開けた。
熱気が流れ込んできて、カーテンがふくらんだ。
封筒を開けるのに、三分かかった。
中の紙は、薄く、少しだけ甘い香りがした。
「突然のお手紙、驚かせてしまったらごめんなさい」
僕は読み終えても、しばらく紙を見ていた。
机の上で、影がゆっくりと伸びていった。

 

僕は、速読家だ。
どんな本でも、一瞬で読む。
でも、その手紙は違った。
「あなたの読書スピードにいつもびっくりしています」
その文字を追うたび、時間が止まるようだった。
蝉の声が、途切れ途切れに響いた。
「どうかこの手紙だけは、ゆっくり読んでください」
その一文が、胸の奥に沈んだ。

 

夜になっても、部屋は熱かった。
机に手紙を置き、僕は椅子に深く座った。
街の灯りは、遠くで瞬いている。
ページのように、夜がめくられていった。
僕は何度もその文字をなぞった。
読むことは、少しずつ祈りに似ていった。

 

翌朝、空は灰色だった。
僕は便箋を取り出し、書こうとした。
けれど、言葉は出てこなかった。
速く読むことしか知らない手は、
遅く書くことに慣れていなかった。
窓の外では、鳥が鳴いていた。
世界は、昨日と同じだった。

 

数日後、もう一通の手紙が届いた。
封を切るのに、今度は五分かかった。
「あなたがゆっくり読んでくれて、嬉しかったです」
僕は窓を開けた。
光は変わらず、真っ直ぐだった。
ただ、胸の奥で何かが静かに動いた。

 

数日、返事を書けないまま過ぎた。
午後の光は、どこまでも乾いていた。
海まで歩いて、砂浜に座った。
波は静かで、何度も同じ場所に崩れていた。
僕は、指先で砂をすくいながら思った。

速さだけが僕の自由だと思っていた。
でも、この手紙だけは違う。
読んでも、まだ読めていない気がした。