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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

2025-11-01から1ヶ月間の記事一覧

新・読書日記653(読書日記1993)

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プラトン『ソクラテスの弁明』読了+新・読書日記652(読書日記1992)

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新・読書日記651(読書日記1991)

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新・読書日記650(読書日記1990)

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新・読書日記649(読書日記1989)

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新・読書日記648(読書日記1988)

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形式は悪だが役に立つ

形式とは何か。それは、制度がつくる決まりごとであり、社会が自分を守るために生み出した慣習であり、人と人のあいだに置かれる「箱」のようなものである。契約書、ルール、手順書、フォーマット、判子、署名、確認ボタン、約款。どれも本質ではない。しか…

新・読書日記647(読書日記1987)

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新・読書日記646(読書日記1986)

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新・読書日記645(読書日記1985)

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新・読書日記644(読書日記1984)

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そろそろ人生やめませんか?

「そろそろ人生やめませんか?」なんて書くと、物騒なスパム広告みたいに見えるかもしれません。最初に確認しておきたいのは、ここで言う「人生をやめる」は、文字どおり命を絶つという意味ではまったくない、ということです。もし本当に「もう生きていたく…

そろそろブルーライトやめませんか?

読書梟の本棚 ブルーライトの問題を「健康」や「睡眠」からだけ語ると、どうしても「目に悪いから少し減らそう」といった衛生的な話に落ち着いてしまいます。けれど実際には、この光はもっと静かに、しかし確実に、私たちの「読む」という営みそのものの形を…

新・読書日記643(読書日記1983)

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ナシーム・ニコラス・タレブ『身銭を切れ』読了+読書日記642(読書日記1982)

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新・読書日記641(読書日記1981)

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トルストイ『復活 上』読了+新・読書日記640(読書日記1980)

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身だけが切られ続けるリスク――権利が独り歩きする現場から

さっきまで読書のことを書いていたはずなのに、気がつくと頭の中はまた現場のことに引き戻されている。最近、とくに強く感じるのは、「権利」という言葉の独り歩きだ。虐待、セクハラ、パワハラ、モラハラ、スメハラ――「〇〇ハラスメント」というラベルのカ…

新・読書日記633(読書日記1973)

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新・読書日記632(読書日記1972)

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福子『逆さまの迷宮 下』読了+新・読書日記631(読書日記1971)

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週末に効くタレブ #3|バーベル戦略:中くらいの安心がいちばん危ない

つづきを展開 nainaiteiyan.hatenablog.com 名言(意訳):「超安全と高リスクの両端に張り、中間を避けよ」出典:『反脆弱性』 “ほどほど”はやさしく聞こえる。だが不確実性の世界で中リスクは、危険が見えにくい分だけ厄介だ。タレブのバーベルは、**90%…

週末に効くタレブ #2|引く力(Via Negativa)を生活の主語にする

つづきを展開 nainaiteiyan.hatenablog.com 名言(意訳):「良いものを足すより、悪いものを引くほうが効く」出典:『反脆弱性』 足し算は目に見える。アプリ、サプリ、会議、資格。だが複雑系では、加点は容易に相互作用し、ノイズと副作用を増やす。タレ…

週末に効くタレブ #1|身銭を切らない言葉は、風より軽い

名言(意訳):「自分の利害を賭けずに発した助言は、助言ではない」出典:ナシーム・ニコラス・タレブ『身銭を切れ』 助言はしばしば“正しさ”より“コスト”で評価される。報いも罰も受けない立場からの語りは、失敗の摩擦を持たないから増殖する。タレブはこ…

新・読書日記630(読書日記1970)

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新・読書日記629(読書日記1969)

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存在という言葉で全てを語った気になるのやめてもらっていいですか?

「存在」が便利すぎる。そう感じるのは、議論の終盤でこの一語が掲げられるたび、そこで追究の手が止まり、考えるべき諸条件や手続きや関係が霧散していくからだ。もちろん私は「存在論」を禁じたいのではない。むしろ基礎付けの試みとしての存在論は必要だ…

新・読書日記628(読書日記1968)

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新・読書日記627(読書日記1967)

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福祉と正義:就労支援から何ができるか

この問いを前にするとき、私はまず言葉を入れ替えたくなる。福祉は「欠けた人を支える」ことではない。アマルティア・センのケイパビリティ・アプローチに倣えば、福祉とは、人が「価値があると理由づけられる生」を実際に選べるように、〈できること〉と〈…