
つづきを展開
「あなたの本むずかしい」と言われることがある。分かる。自分でも、難しい言葉に寄ってしまう癖がある。しかし今日は、なるべく簡単に書く。執行草舟『誠に生く』を読了して、ひとつ強烈に残ったことがあるからである。それは、「答えをくれる本ほど危ない」という感覚である。
答えは気持ちいい。読み終わった瞬間、「なるほど、分かった」と言える。人生に地図ができた気がする。だが、その気持ちよさが、じつは落とし穴になる。なぜなら、答えは人を止めるからである。止まるというのは、落ち着くという意味ではない。問いが止まる、という意味である。問いが止まると、生活が止まる。生活が止まると、人生が“勝手に流れていく”だけになる。執行草舟が批判するのは、そういう停止である。
執行草舟は言う。文学や詩、宗教や芸術は、答えではできていない。問いかけでできている。逆に「人生とはこういうものだ」という答えが書いてある本は、インチキだ、とまで言う。乱暴な言い方だが、言いたいことは分かる。答えが書いてある本は、読者に「終わり」を与える。終わりを与えられると、人は安心する。安心すると、次の一歩が出にくくなる。だから危ない。
では問いは何がいいのか。問いはしんどい。読み終わってもスッキリしない。「結局どうすればいいの?」とモヤモヤする。だが、モヤモヤは悪ではない。モヤモヤは、自分の人生に引き寄せて考え始めた証拠である。「自分ならどうする?」「自分にとって大事なものは何?」「どこで逃げている?」といった問いが動き出す。問いが動き出すと、人は動く。ここが大事である。
執行草舟が語る中心の言葉は「誠」である。しかし「誠」は、礼儀正しさのことではない。いい人でいることでもない。執行草舟自身、若い頃は荒れていたという逸話がある。祖母が「大丈夫、あの子には誠があるから」と言った話が出てくる。もし誠が“品行方正”の意味なら、この話は成立しない。では誠とは何か。
私なりの暫定の答えはこうである。誠とは、人生を通して貫く理想のことである。理想と言っても、キラキラした目標の話ではない。もっと地味で、重い。自分の運命を引き受けて、これだけは貫くと決めて、実際に貫くこと。執行草舟はそれを「断行」と呼ぶ。決意して、やる。やり続ける。そういう一本の線のことである。
ただしここで厄介なのは、理想には「正解」がないことだ。誰かが「これが理想だ」と配ってくれるものではない。自分の運命と、自分の決意で決めるしかない。だからこそ、問いが必要になる。理想は、答えとして与えられるものではない。問いの形でしか生まれない。問い続けることでしか、固まらない。だから執行草舟は、答えをくれる本を疑い、問いを残す本を読めと言うのだと思う。
ここで、私が強く刺さった言葉をひとつ挙げる。
「自分の生まれた環境、育ち、教育も含めて一つでも不満があったら、皆さんの今後の運命は動かないと思って下さい。運命というものが動くには、宿命を愛さなければならないのです。(…)自分の環境に一つでも文句があった場合、絶対に自分の運命は発動しません。」(『誠に生く』)
強い言葉である。反発も出るだろう。私自身、このまま受け取ると危ないとも思う。世の中には、個人の努力だけではどうにもならない不条理がある。だからこの言葉は、他人に向けて振り回すべきではない。だが、自分に対して読むなら効く。環境に不満を言っているあいだ、私は「動かない理由」を持ててしまう。つまり停止の免罪符が手に入る。停止はラクである。しかしラクのままでは、運命は発動しない。これは、精神論というより、起動条件の話に見える。運命とは、勝手に始まるものではなく、自分が引き受けた瞬間にだけ動き始めるものなのだ、と。
そしてもう一つ。執行草舟は、汚い政治の世界で心が折れなかったクレマンソーの話をする。クレマンソーは家に帰ってから毎日、ギリシャ哲学やプラトンに触れたという。ここには大事な示唆がある。理想や誠は、現場だけでは維持できない。人は擦り減る。だから「補給」が必要になる。補給とは、古典であり、文学であり、問いである。日々問いに触れていると、心が折れにくくなる。答えで自分を固めると、一度折れたら立ち上がれない。問いで自分を動かしていると、折れても修正できる。ここでも、答えと問いの非対称性が出る。
結局のところ、答えが危ないのは、答えが嘘だからではない。答えが「完了の気持ちよさ」を与えてしまうからである。完了した気になると、問いが止まる。問いが止まると、誠が育たない。誠が育たないと、理想が一本の線にならない。一本の線にならないと、不幸や挫折がただの損失で終わる。逆に問いが生きていると、不幸や挫折が材料になる。材料になると、人生は少しずつ動く。執行草舟が言う「幸福」とは、そういう動きの中にあるのだと思う。
だから私は、『誠に生く』を読んで「答え」を受け取ったのではない。受け取ったのは問いである。「自分にとって誠とは何か」「自分の宿命を愛しているか」「何を貫くと決めるのか」「その決意を断行できるか」。読み終わった後、ずっと読みたかったカミュ『反抗的人間』を少し高価でも買うことにした。答えを買ったのではない。問いを増やしたのである。
では、ここからが本当の読書である。問いは持った。次は行動である。私の生活の中で、「答えの気持ちよさ」に逃げてしまう場面はどこか。逆に「問いのしんどさ」を引き受けられる場面はどこか。私は、どんな小さな断行から始めれば、誠が一本の線になっていくのだろうか——あなたは、最近どんな問いを抱えたまま生きているだろうか。