最初に違和感を覚えたのは、白いページの白さだった。
朝の光に照らされた紙面が、やけにまぶしい。紙そのものがこちらを拒むように、白が膨張して文字を押し流していく。フォントは黒のはずなのに、縁がほどけ、輪郭がふにゃりと溶ける。読み慣れたはずの文庫本の一行が、知らない川の流れみたいに頼りなく揺れた。
老眼かもしれない――そう考えるのは、逃げだったのだろう。度の強い眼鏡を一本新調して、読書灯を買い替え、LEDの色温度を昼白色から電球色に変えた。青白い光がまぶしさを増幅しているのだと思い込んだ。スマホの拡大鏡アプリを入れて、ついでに文字サイズも上げた。対症療法を重ねれば、読書という生活は元に戻る、はずだった。
三十分で頭痛が来た。
ページを追うほど、額の奥がズキズキと脈打つ。体が文字を拒絶している。ベッドサイドに置いた栞はいつも同じ位置に戻り、読み進めるほどに戻ってしまったような敗北感だけが積もっていく。読めない、という事実の前で、私の生活の中心――ブログと日記と読書――が音のない崩落を始めていた。
眼科は混んでいた。
受付で視力表を渡され、穴の空いたCの向きを答える。看護師の淡々とした声に従って、上、右、下、右……指し示すたびに、ぼんやりした輪がさらにぼやける。瞳孔を広げる目薬を落とされ、しばらく待合室で目が慣れるのを待った。薄い雑誌の文字はにじみ、壁のポスターの説明文が白い霧に沈んでいく。
診察室で医師はほとんど表情を動かさなかった。「白内障ですね」と言われたとき、私はすぐにはその言葉の輪郭を掴めなかった。年齢相応、進行性、手術すればよくなる場合が多い、いま無理に読むと疲労が強く出る――短い説明が整然と並び、現実はアナウンスのような距離感で私の前を通り過ぎた。
「読書は?」と聞くと、医師は一拍置いて「控えめに」と言った。禁酒や禁煙と同じ調子で、控えめに、と付け足す。控えめに、という言葉は、私の生活の中心をやさしく押しのけるためのゴム製の手袋みたいな響きを持っていた。
帰宅して、机に積まれた未読本の山を見た。
背表紙の列がこちらを見返す。その整然とした佇まいが、残酷だった。読みたい、と体の深いところがうずいた。欲望はまだ鮮やかだ。だがページの白は刃物みたいにぎらついて、視神経を切り刻む。読書灯の角度を変え、カーテンを半分閉め、窓の外の光をやわらげても、印刷と光の境界はにじんだままだった。
読めないことは、書けないことに直結する。
ブログの管理画面を開く。下書き一覧のタイトルがずらりと並ぶ。未完、未完、未完。タイピングはできる。だが、引用するべき一節を目で確かめられない。記憶の頼りない輪郭のままに文章を組み上げると、すぐに説得力が枯れる。私は引用の正確さを自分の矜持にしてきた。曖昧な引用は、曖昧な自分を露呈させる。
その夜は何も公開できなかった。公開ボタンにカーソルを合わせて、しばらく動けず、やがてブラウザを閉じた。
音声読み上げに頼ることにした。
アプリにPDFを読み込ませ、合成音声に本文を読ませる。意外にも、機械の声は悪くない。イントネーションのわずかなズレや、漢字の読み間違いが滑稽に響くこともあったが、目の痛みから解放されるだけで、世界の通路がひとつ開いたように思えた。
しかし、読むのと聞くのは違う。目で拾うときの微細なリズム――行間の圧、句読点の息継ぎ、余白の意味――が、音声では薄くなる。内容は入ってくるのに、体に刻まれない。私は音を止めて、イヤホンを外し、自分の鼓動がイヤホンの外側で鳴っていることを確認した。
「中間層から抜けたい」
この言葉は私にとって呪文のようなものだ。生活水準を上げたい、という欲望は、日々の読書と文章の向こうに置いた旗印だった。知識を積み上げ、言葉を磨き、何者でもない自分を少しでも引っ張り上げる――そのために七年やってきた。しかし旗に近づく手前で、視界が曇って足が止まる。旗はまだそこに見える。だが距離感が狂った。手を伸ばしても、空を掴む。
読書という営みは、想像以上に目に依存していた。
当然だ、といえば当然だが、私はその当然の重さを知らなかった。ページの白と黒のコントラストが、世界の輪郭を整えてくれる。黒い文字が並ぶ規則正しさは、不安を鎮め、思考の座標系を提供する。視界が曇ると、座標が崩れる。方角を失った船のように、私は文の海で漂流するだけになった。
何もしない夜が増えた。
窓の外にマンションの小さな灯りが並んで、台所で誰かが皿を洗う音がかすかに届く。私は机に座って、電気を消し、暗がりの中で目を閉じる。閉じても開けても、白い光の残像が視界に浮かぶ。まぶたの裏に、読みかけの本のページが出たり入ったりする。そこに書かれていたはずの一節は、もう輪郭を失っていて、手のひらで掬うと指のすき間からこぼれ落ちる水みたいに消える。
眼科の再診で、手術の話が出た。
「いずれは」と医師は言った。「生活に支障があるなら、早めに考えたほうがいい」。
私はうなずいた。だがすぐに、手術をすればすべてが元に戻るわけではないのだと、医師はきちんと付け加えた。光の感じ方は変わる。見え方も個人差がある。合併症のリスクは低いがゼロではない。丁寧な説明は、私に現実の輪郭をもう一段濃く見せた。
病院のエレベーターを降りると、ロビーの床がやけに白く光っていた。白は私の敵になりつつあった。これまで愛してきたページの白と同じ色が、今は私の足元を奪っていく。
帰り道、書店に寄った。
新刊台に、読みたかった著者の新作が積まれている。帯の文字がぼやけて、店内の天井灯が紙の表面で騒いでいた。私は本を手に取り、ページを少しめくった。インクの匂いが立つ。文字は滲む。
レジに向かうまでの短い距離を、本を抱きしめるようにして歩いた。買う権利だけは、まだ残っている。読む権利は怪しくなったが、買うことならできる。家に持ち帰って、いつか読める日のために積む。積まれた本の山は、未来への投票だ。読みたい、という欲望がまだ生きている証だ。
それでも、夜になると恐れが来る。
このまま読めなくなったらどうする。ブログはどうなる。私は何者でもないまま、何者にもなれないまま、沈んでいくだけではないか。七年の虚無に、さらに白が塗り重ねられていくのではないか。
恐れは具体的だ。目の手術費用、仕事への影響、生活の段取り、家の中の配置換え――計算し、想像し、メモを取る。合理的に対処しようとする自分がいる。けれど、その理性の下から、濁った感情が泡のように浮き上がる。悔しい。怖い。腹が立つ。世界が勝手に遠ざかっていく。
そんな夜、ふいに、昔の文章を読み返した。
七年前の、最初の頃の稚拙な記事。引用の選び方も段落の区切り方も甘く、いまなら消したいくらいの粗さだ。だが、読み進めるうちに、そこにある勢いに少し心が温まる。無鉄砲な単語の並べ方、意味のつながりがぎこちなくても前へ進もうとする力。目が悪くなる前の、自分の目のよさではなく、別の何か――書きたい、という拙い衝動が、行間から立ち上がってくる。
私は画面の輝度をぎりぎりまで落とし、フォントサイズを限界まで上げた。にじむ文字を、にじむまま追いかける。読める、というより、なでるように意味を確かめる。読むという作業が、手探りの触覚へと変わっていく。
「控えめに」
医師の言葉が頭の内側で反響する。控えめに読む。控えめに書く。控えめに生きる。
私はいつから、こんなにも何かを「控えめに」やることが嫌いになったのだろう。中間層から抜けたい、と繰り返してきたのは、控えめな生の反転を求めるからだ。控えめであることこそ善、と刷り込まれた長い時間に、遅れて反抗している。
だが今、体は私に慎重さを強いる。慎重であることと、控えめであることは、同じではないはずだ。慎重に、しかし控えめではなく。私はその言い分けを、新しい座標系として試みようとした。
翌朝、私はブログの管理画面を開き、下書きの一つに手を入れた。
引用は耳で確認し、校正はフォントを巨大にして、行間を広げ、行数を減らした。二百字を書いて休む。光を避けるためにカーテンを少し引き、暗がりの中で一息つく。息を整えて、また二百字。私は自分の文章の速度を、初めて意識的に落とした。
公開ボタンを押す。しばらくして、アクセスはいつも通り静かだった。通知は点灯しない。けれど、公開された記事のタイトルが自分の画面に現れるのを見て、私は小さくうなずいた。読み手がいないことと、書き手がいないことは、別の問題だ。私はまだ、書き手でいられる。
「曇る視界」は、終わりではないのかもしれない。
視界が曇るなら、別の感覚で読む方法を探せばいい。耳がある。手がある。記憶がある。誰かに読んでもらうという手段もある。世界の入口は一つではなかった、と後から気づく類の真理が、ゆっくり輪郭を持ち始める。
その真理は、勝利のラッパではない。静かな、生活の音だ。鍋がこすれる音、洗濯機の終わりを告げる短いメロディ。ページの擦れる音が戻らない夜でも、音は私を裏切らない。やがて私は、誰かの声で本を読んでもらう練習を始めるだろう。文章を口で組み立て、口で直すことを覚えるだろう。手すりにすがるように、言葉をつないでいく。
それでも、と私は心の中で付け足す。
私はやっぱり、ページの白が好きだ。白の上に黒い文字が整然と並び、行が列をなし、段落が呼吸する、その秩序が好きだ。白は敵であり、味方でもある。敵の姿をした味方。味方の顔をした敵。曖昧な境界線の上で、私はまだ立っている。
窓を開けると、薄い雲が午前の陽を拡散していた。曇天は、白の暴力を少しだけ抑えてくれる。私は机に戻り、ふたたび拡大鏡アプリを立ち上げ、ページの端を指でなぞった。にじむ黒を、なぞる。意味が指先から腕に上がり、胸に届く。かたちの悪い読書だが、読書には間違いない。
その日、私は小さな記事を公開した。
「曇る視界」というタイトルの、短い記録だ。読み手は少なく、反応はなかった。だが、公開後の空白の画面を見ながら、私は静かに確信した。この曇りが、私の次の章の始まりなのだと。
見えなくなることは、しばしば世界の終わりだ。けれど、終わりの輪郭が見えたとき、別の入口が現れることもある。私はそれを信じてみることにした。ゆっくりでいい。慎重に、しかし控えめではなく。
そして、次の音が遠くで鳴り始めていることに、私はまだ気づいていなかった。
耳の奥で、小さな軋みがひとつ。世界の音が、少しだけ歪んで聞こえた。気のせいだと思った。
最悪のシナリオは、いつだって前触れを装って現れる。私はページの端をもう一度なぞり、指先に残った黒の感触を確かめた。次の章のタイトルは、もう決まっている気がした。