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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

読書日記1330 + 宮台真司『14歳からの社会学』読了

読んだ本

三宅玲子『本屋のない人生なんて』光文社 (2024)

J.ヒリス・ミラー『読むことの倫理』法政大学出版局 (2000)

佐藤貴彦『男女平等は男女を幸福にしない』Parede Books (2024)

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日記

 

『本屋のない人生なんて』

Amazonは完璧ではない。それを自分は確信している。

このブログでは何回も書いているけれども、ネットは情報量が膨大ではあるが、それはとても閉鎖的で、各々には部屋があり、AmazonにはAmazonの部屋しかない。

 

イメージとしては、Amazonで本の買い物をするということは、その部屋に陳列された膨大な本を、遠いところから望遠鏡で覗いて、気に入った本を遠隔操作で買うようなものであると自分は思っている。

 

皮肉なことに、ネットの膨大な情報量と反比例するように、画面に表示(=提示)される情報量は相対的に減少する。

図書館へ行けば、数時間で100万冊の本を目に入れることができる。しかも気になれば立ち読みもできる。

Amazonにおいては、100万冊の本を表示するにはあまりにも時間がかかる。

 

 

そして立ち読みも限定的なページにとどまる。

ここがネット書店の致命的な欠点である。

自分は、ネット書店の運営側はその欠点を埋めるべく、将来的には仮想書店をVRで眺めるような感覚になると予想している。

 

 

ネット書店の欠点を逆手にとった本屋は潰れない。

そういうものを、本書を読んで感じる。

 

・・・

メモ

 

本屋Title、辻山氏の言葉

 

(出版点数は1996年の63,054点を超え、2019年は79,103点に増加。にもかかわらず売り上げは約1兆⇒約7000億に減少)

 

"「出版社の人たちが本当につくりたい本をつくっているのか、今のような状況では首を絞めることになっているのではないかと僕は思います。企画会議には、年間予算を達成するために出版点数を増やすのはやむを得ないという雰囲気があるのだろうと想像します。でも、そうやって本の乱造が続いた結果、本の価値を貶め、本への信頼を奪うことになってはいないでしょうか」" P199

 

(根っこのある本とは?の質問に対して)

"(・・・)五年十年経っても読むに堪えるような本こそが読む人の滋養になっていくのではないでしょうか。その人が今泣きたいからこの本を読んで泣きました、終わり、というものではなく、その人の性質のある部分を形づくっていくような、そのときには気づかないかもしれないけれどもその人に沁み渡っていく、そういった本が根っこのある本だと思います。" P217-218

 

・・・

『男女平等は男女を幸福にしない』

田嶋陽子氏、上野千鶴子氏、鈴木涼美氏の共通点に、母親が厳しかった面があったと著者が分析をしていた。

フロイトエディプス・コンプレックスの逆バージョンのようなもので、母親に対する反発が家父長制に対する反発へと繋がる。サンプルは少なく、根拠としては薄いが説得力はあった。因果関係は恐らくないが、相関関係くらいはありそうだと思えた。

 

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宮台真司『14歳からの社会学』読了

宮台真司『14歳からの社会学:これからの社会を生きる君に』ちくま文庫 (2013)

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感想

 

二回目を読み終えた。

なぜコンプラコンプラとうるさいのか。

なぜ日本の幸福度はG7最下位なのか。

こういう疑問が本書を手に取る動機となった。

 

 

ルールで解決しようとする人間の心理に「他者への不安」というものがあると自分は考えた。

不安というのは情報不足からくる。

なぜ不安か。

大きな流れとしては、グローバル化によって「みんな」の意味が変わり、「共通前提(例えば、「みんな=日本人)」」が崩れてしまったからである。

 

 

他にも、都市の構造にも問題がある。

何事もプライバシーにうるさい世の中になったように思う。

マンションは売れる。それはプライバシーや安全性が高いからである。

分譲マンションは、規模が大きいため、他の階に誰が住んでいるのかわかりにくい。

 

 

行為功利主義(それをやっても、みんなが良ければOK)の考えが、規則功利主義(みんなにとってメリットのあるルールならOK)にシフトした。

「他者」への不安感がそれを後押しした可能性が高い。

「他者」が見えなくなりつつあるからでもある。

 

いろいろと考えさせられた。

この延長線上にコンプラ問題がある可能性はある。

自分はそう思えた。

 

何事もルールがあるに越したことがない。

そういう雰囲気があるのかもしれない。

しかし、その「不自由」を無思考的に受け入れるのは良くない。

それが幸福度の低下に繋がっているように思えてならない。

 

 

メモ

宮台真司

”ぼくたちは規定されつつ <自由> だという二重性を生きる” P204

 

社会学は「因果」ではなく「意思」をもとに考察を行う

"<社会>では「因果」ではなく「意思」が出発点だ。出発点だから「意思」の前にはさかのぼらない。これはひとつの世界観だ。「主意主義的世界観」という。これに対し、ぼくたちが全能なら「意思」の前にずっとさかのぼれるはずだという世界観が、「主知主義的世界観」だ。カントのすごいところは「<世界>ーーありとあらゆる全体ーーはどうだか知らないけど、<社会>ーーあらゆるコミュニケーションの全体ーーは主意主義的にでき上がっている」と見通したことだ。完全に正しい。" P185-186

 

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関連図書

 

 

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