はてなブログ大学文学部

読書と哲学がメインです。(毎日更新中)

読書日記517

今日読んだ本:

デヴィット・グレーバー『ブルシット・ジョブ:クソどうでもいい仕事の理論』

御田寺圭『ただしさに殺されないために:声なき者への社会論』

ブックオカ『本屋がなくなったら困るじゃないか:11時間ぐびぐび会議』

三砂慶明『本屋という仕事』

ミノーシュ・シャフィク『21世紀の社会契約』

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メモ

 

「大きな声でものをいう人間を信用するな」

⇒すぐにヒトラーの演説を思い出した

 

 

辻山良雄「本というのは毎日300冊出版されている」

 

「本 ≒ 嗜好品」≠ 貨幣

 

 

低所得層から中間に這い上がるまでに要する時間

日本⇒4世代

米国⇒5世代

 

デンマーク⇒2世代

フィンランド⇒3世代

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日記

 

取次の構造や本屋の利益の仕組みについて軽く勉強。

Amazon水声社の本が卸されていない理由なども調べた。

水声社の本に対する想いを確認できた。


今日は社会契約や福祉国家、格差について思いを巡らした。

『ただしさに殺されないために』において、親ガチャについて触れられていた。

「あなたの人生は、あなたの努力で動かせる部分はとても少ない」

 

 

しかし、これは別に証明されている訳ではない。

統計的にはそう見えるだけのこと。

今の時代は発想の転回が求められている。世間の価値観に振り回されていたら自殺してしまう。

親ガチャという厭世的なフレーズは自堕落に生きて人生を台無しにすることを正当化しはしない。

 

 

本屋に関する本を読みながらいろいろと考えた。

 

 

当たり前のことほど「わかっているつもり」があるかもしれない。

わかっているつもり、というのはプラトンでいう「想起」を経ていないで、誤った理解の仕方である。

小学生から社会人に至るプロセスで叩き込まれ、深くは考えていないような概念。

そういうことが世の中多いようにみえる。

 

 

例えば、やはり過剰なサービスが求められている日本の感情労働者。

人を喜ばせることは善なのだろうか。

本質的に善なのだろうか。

 

 

ただ、貨幣が絡まれば、というのが前提である。

それが仕事なのだから、という当たり前のことなのだが。

しかし、サービスとしての「奉仕」ほど気味が悪いものはないように思うときがある。

「貨幣が絡まれば、全力で奉仕します。。。」

 

 

貨幣。

本質的にヒトはモノになってきているのではないか、という気がしてくるのである。

ようするに、貨幣空間のなかでヒトはモノとなる。上の例がそれを端的に示している。

 

 

ここに本質的な善が存在し得るのだろうかと思うときがある。

 

 

(これからの本屋は、という文脈で)「人とモノを繋げていく空間作りが大事なんです」

⇒いや、だから人が「モノ」になってきているわけで、、、

 

 

こういう考え方はマイナーだと思うのでこれ以上は書かないことにしたい。