今日読んだ本:
プラトン『国家』
デヴィット・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』
ブックオカ『本屋がなくなったら困るじゃないか:11時間ぐびぐび会議』
三砂慶明『千年の読書:人生を変える本との出会い』
池田晶子『残酷人生論』
モーリス・ブランショ『終わりなき対話Ⅱ』
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メモ
「わかる」には二種類ある
・想起
・わかったと思う
「わかる」前に人は何をわかったか予め知っているという不思議
それを経験せずに「わかった」と言う人は「わかったつもり」と言える
わからないことをわかろうとすること
⇒池田晶子「想像的努力 ≒ 愛する力」
「君は私でないからわからない」⇒思考の放棄
池田晶子「情報とは損得」
良い情報とはなにか判定するには、「生きるとはそもそもなにか」が分かっていなければならない
オラクル・・・神の言葉
アリストテレス「教養は順境にあっては飾りとなり、逆境にあっては避難所となる」
グレーバー「社会的価値の客観的な尺度はありはしない」
グレーバー「1960年代について考えよ」
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日記
2000年代
20000⇒14000まで書店が減少
本屋がない自治体が出始める。
本屋と過疎化に相関性はあるのか。
理想国家において、人間社会の本質は分業にある。
一方、現代社会は何事もリスク分散となっている。
「副業」「複業」「多動力」といった言葉から滲み出ている。
なんでもやってみようという風潮。
プラトンの想像した社会とは大きくかけはなれていることは自明である。
そもそも何故リスク分散なのか。
金融から学ぶべきことはある。
グローバリゼーションから学ぶべきこともある。
個人が税逃れに必死ならば企業がしないはずはない。
選挙に関心のない人⇒本質的に自分さえよければ良いという人
今週はこの三者からいろいろと吸収したい。