読んだ本
つづきを読み進めた。
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日記
読解に疲れ果てて要約する元気が残っていないので感じたことを書いていきたい。
まず、今日の段階で概ね日本の「炎上」「中傷」に関する理論が自分のなかで出来上がった。
それを構築するには長い時間がかかった。
参考になったのは皮肉にも「社会心理学」ではなく、小室直樹、山本七平、三島由紀夫、岡本太郎、池田晶子、宮台真司氏などの心理学者以外の人間からの知恵であった。
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結局のところこの謎、つまり日本人はなぜ「空気」を読むのか、なぜ「同調圧力」といった状況や「中傷」が起きるのかというのは、歴史や憲法、そして(比較)宗教学を辿ることによってその「輪郭」が浮かび上がったのであった。
ターニングポイントはいうまでもなく小室直樹の本に触れたことにあった。
小室直樹という人間について知るには宮台真司氏の本と出会うまで無縁であったが、宮台真司氏がなぜ同調圧力や「空気」や「世間」について体系的に語らない(少なくとも著書において)のは、小室直樹の仕事によってほぼ完成されたからだと感じた。
弟子に当たる宮台真司氏は小室直樹と同じことをしても意味がないので、その理論を応用することで独自の研究に進んでいったのだろうと思われた。
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『加害者家族バッシング』のなかで、日本人は「権利=正しい」という西欧の考えを理解していないと書かれていた。これはまさに『日本教の社会学』において小室直樹と山本七平が言っていたこととそのまま同じことを言っていると思われた。
rightは確かに「権利」と訳されるが、「正しい」という意味を持つ。
これを突き詰めると憲法や法学の歴史にまで辿り着く。
まだまだ自分も知識が浅いが(本来は文献にあたってもっと調べる必要があるが)小室直樹が憲法9条は「ケロック=ブリアン条約」のコピーと述べた点、また、日本国内における統一法典をつくる際、民法についてはフランス人法学者ボアソナードなどによって起草された、と書かれている点を見ると確かに戦前の憲法は日本人が独自に議論して作り上げたとは言えないだろうと伝わる。
また、フランス法の影響が強すぎることを考慮し、江戸時代の家制度は残したとされる。
そしてこの家制度が企業の年功序列に繋がっていったとされる。
それは置いて、要するに日本の法体系は明らかに「慣習」に根ざしていないということである。
それは権利が「正しい」という意味を忘れていることからも自明である。
「○○をまるで自分の権利だと思っているかのように云々」
この文章が生成される時点でおかしいのだということを著者は述べていたが、自分も同感であった。
欧米の民主主義を輸入したものの、それは日本の慣習に合っていないうえ言葉の定義まであやふやになっている。これでは民主主義や権利、自由について意見が混乱、錯綜するのは不可避である。
同調圧力に関しては、著者は「社会」と「世間」を分け、前者が「建前」であり後者が「本音」であるとした。
また、その他複数の概念(社会契約論など交えて)をこの二項対立に当てはめ著者は分析していくがこれをまとめようとすると非常に長くなりそうなので一旦休止したい。
つづく
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