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J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』白水社 (2006) 読了

J・D・サリンジャーキャッチャー・イン・ザ・ライ白水社 (2006)

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感想

 

(ネタバレ含む)

 

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361ページまで読み終えた。

「青春文学」ということで、なにか純粋で素敵な物語があるのだと思っていたが、読み終わってからは「なんかちょっと違うな」という感じを覚えざるを得なかった。

最初、自分は主人公ホールデンが自由を求めて、もしくは自由を獲得するために学校を辞めたのかと思っていたが、ただの「現実逃避」であり、これを自由への道と解釈するならば、それは逃げることを自由であることと履き違えているのだろうと思われた。

 

 

たしかに、書き手の技術としては、絶えず物語は純粋で無知な10代の若者目線で進行し、そのなかで大人側の目線とうまく棲み分けられている点は自分には真似のできない技術であると感じた。

しかしもう大人に「なってしまった」自分としては、この小説を読んでいて特段懐かしい光景や思い出は想起されず、感傷的になることもなかった。

むしろ自分は主人公の今後の人生に不安をすら覚えた。

 

 

 

物語の終盤でホールデンはミスター・アントリーニから人生のアドバイスを受ける。

これはサリンジャーが実際に体験したことなのかもしれないと思いながら自分も耳を傾けた。

このままでは君が三十歳になったときには、非常にくだらない人間になってしまう、というあまりも夢のないアドバイスであった。しかし的を射ている。

 

 

この小説では学問の大切さを間接的に伝えているのかもしれないと感じた。

最初は操作やルールがよく分からないゲーム(格闘ゲームぷよぷよ桃鉄マリオカートなど)でも慣れれば面白くなるように、学問もある程度つかめれば面白くなり、世界の構造が見えることによって自分が進むべき道が分かってくるとミスター・アントリーニは語る。

 

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タイトルがなぜ『キャッチャー・イン・ザ・ライ』なのかというと、これはホールデンが将来はライ麦畑で遊び回っている子供が崖から落ちないようにキャッチして助ける生活をしたいという意味であった。

 

 

簡単にネットで調べた。なぜこの小説が読み継がれているのか。青春時代を懐かしめる小説として普及の名作である、ということなのであるみたいだが、自分の青春時代とはちょっと違うな、という感じがしてならなかった。

 

 

「これぞ文学である」という、かたい作品を読みたい方はやはりトーマス・マン魔の山』とサマセット・モーム『月と六ペンス』、そしてハーマン・メルヴィルの『ピェール』をおすすめしたい。

 

白水社のペーパーバック・エディションからだと『マーティン・イーデン』もおすすめである。

 

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