読んだ本
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日記
倫理と美の違いは、前者は苦を伴うが後者は常に快であるという点にある。
合目的性を備えた美が何故人間に必ず快を与えるのか、これはよく考えれば壮大な謎である。
合目的性を意識(=自己)によって実行すること、その行動の内容が倫理となる。
人道に沿い続けることが倫理的な生き方であるが、文字通り時に人は道から外れる。
それは意識(=自己)が感情、情動に勝てない時があるからである。
感情の奴隷はすなわち野蛮を意味し、感情にだけ従うことは明らかに倫理的でない。
しかし感情は明らかに必要なものであり、あらゆる力の源泉となる。
感情のない人間が人間らしさを持っているとは考えにくい。
よくよく考えると感情と理性のバランスは、合目的性を考えれば明らかに不均衡である。
だからこそ倫理や道徳、美学の議論が尽きないわけである。
考えれば考えるほど深みにハマる。
崇高の力は人間を感化させ謙虚にさせるところにある。
壮大な宇宙を思えば、人間があまりにも無力であることが分かる。
崇高の力はここにある。
しかし崇高は美ではない。
ときに激しさを伴い人間を恐怖に陥れる。
美と崇高と倫理の交差点はわずかに見えるが、それぞれの複雑な回路はあまりにも不可解である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
関連図書