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読書日記1103

読んだ本

中山徹ジョイスの反美学:モダニズム批判としての『ユリシーズ』』彩流社 (2014)

オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』ちくま学芸文庫 (1995)

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メモ

 

ノヴァーリス「知覚能力とは注意力である」

ベンヤミン「(ノヴァーリスのいう知覚能力に対して)アウラを知覚する能力に他ならない」

 

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日記

 

オルテガは、「大衆は自分たちが至上者であることを知ってはいたが、信じようとはしていない」と述べ、それを「奇妙な精神状態」と述べていた。

ポピュリズムもそのひとつではないだろうか。

良いか悪いかは分からないが、平等に投票権が与えられていなかった時代にはあり得なかったような、ただ知名度だけで当選する人たちが少なからず参議院にいる。

しかしながら国民は「自分は政治を変えることができる存在である」と自覚している人は少くないのではないか。

 

 

シルバーデモクラシーやくじ引き民主主義の議論を追えば、オルテガの発言が机上の空論とは思えない。

人口ピラミッドによる世代間の投票行動には差があるかもしれないが、それでもやはり国民は社会を動かす力を持っている。

 

 

人は所有すると飽きがくるものである。

いったん権利を「所有」すると、もはやそれは当たり前となり、権利があることが当然の、自明化された前提となって内面化されるように思われる。

 

 

しかし飽きの力は強力で、人は次から次へと新しいものを求めるようになる。

完全に満足することができないことに対してオルテガは以下のように述べた。

"真の生の充実は、満足や達成や到着にあるのではない。セルバンテスは、かの者に「宿屋よりも道中の方がよい」といっている。" P42

 

 

・・・

 

ジョイスは優生主義者だったことを匂わせる記述が見受けられた。

美学と優生学にはいろいろと歴史があるみたいであるが、美学は悪なのか。

どうやら美的教育を好む児童を産めや増やせやという話であった。

 

 

価値観の押し付けは悪手ではある。

しかし、人は何らかの価値を掲げずには社会運動などできるはずはない。

本書を読んでいると、どことなくオルテガと似ていて、美的教育が大衆社会への処方箋となり得ると考えたのかもしれない。

 

 

2020年代SNSは大衆の武器と化している。自分はそう思っている。

今更「美学だ」「文学だ」と言うことに何の意味があるのかと思ってしまうが、人生を定量的にしか見ることができない人々に対して、芸術はなんらかの公共性を与えるとは思っている。

 

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関連図書

 

 

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