はてなブログ大学文学部

読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

マイケル・サンデル『実力も運のうち?能力主義は正義か?』ハヤカワ文庫 (2023) 読了

マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』ハヤカワ文庫 (2023)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

感想

 

本書を要約したサイトはいくらでもあると思ったので自分が思ったこと、感じたこと、読んでから考えたことだけを書きたい。

 

・・・

 

仮に「実力も運のうち」であることが判明したとして、「で、どうすんの?」という現実的な問いを突きつけられる。自分はそれを今日は一日中考えた。そのうえではまず360項の、アクセル・ホネットが唱える「承認論」は欠かせないと思われた。

 

 

"ドイツの社会理論学者アクセル・ホネットの主張によれば、所得と富の分配をめぐるこんにちの争いは、承認と評価をめぐる争いと考えると、最も理解しやすいという。彼の考えはヘーゲル哲学に沿っている。ヘーゲルは難解なことで悪名高い思想家だが、高給取りのアスリートの年棒をめぐる論争を追いかけたことのあるスポーツ・ファンなら、誰でも直感的に納得できるだろう。すでに何百万ドルも稼いでいるのに、より高い契約額を要求して粘る選手は、ファンからの苦情に「金銭の問題ではない。敬意の問題だ」と応じるのが常だ。これが、へーゲルの「承認を求める闘い」が意味するものだ。(・・・)彼の主張を要約すると、当時生まれつつあった資本主義的な労働の構造が倫理的に正当化されるのは、二つの条件を満たした場合だけである。ホネットはその条件を簡潔にまとめている。「第一に、最低限の賃金を支払わなくてはならない。第二に、あらゆる労働活動に共通善への貢献であることがわかるような形を与えなければならない。" P360-361

 

 

これを実際にどうするかということを考えると途方もない難しさを感じる。

とりあえず簡単に浮かぶのは、いかに投機家たちが道徳的に悪い存在であるのかを暴くことくらいだろうか。

例えば苫米地英人氏のようなわりと本音を言ってくれる著述家は、経済学が当時の権力者を正当化するために生まれたのではないか、と『超国家権力の正体』のなかで書いている。

 

・・・

 

本書では、投機家が私利のために行う行為は労働者が生産した財を搾り取っているだけで、経済に貢献しているどころか、実際には搾取に近いのではないかとほのめかす記述が見受けられた。イギリスの金融サービス機構の元長官、アデア・ターナーという人物の言葉である。

"「金融活動は、経済価値をもたらすのではなく、実体経済からレント [正当化されない超過利潤] を搾り取っている可能性がある」" P382-383

 

 

とはいえ、投資が企業の生産力を高めることは普通にあるだろうし、問題はその程度が不透明であることだ。

しかし、あまりにも複雑な数式を使わなければ中身の問題は解けないだろうから、素人にはこの問題について考えることは難しい。

投資家がいなければ実現できなかったことも数多にあるだろうから、一方的に金融市場について攻撃することは良くない。

 

 

ホネットに戻る。

第二の「共通善への貢献」というものが曖昧である。

これもまた難しい。例えばWBCで優勝して「元気をもらえた」と選手は称賛された。

一方で一般的な労働者は仕事をして「当たり前」としか言われない。

前者も後者も同じプロであるのだから、深く考えればおかしいことでもある。しかし「特別な才能」を持った前者は称賛の的になるわけである。

 

・・・

 

正直、今日はむしろ混乱している。

キーワードが多すぎる。道徳、価値、共通善、真理、承認、尊厳etc.

 

才能は環境で決まると主張することで何かが変わるとは到底思えない。

 

 

本書は幅が広すぎるため、学校の授業などではかっこうの教材となるかもしれないが、一日で結論などでるはずもなく、再読したときにまた何か新しい発見ができればいいのかな、と思うのが限界である。

 

 

自分はいま挙げたこれらのキーワードを忘れずに、本書が突きつける問いと向き合って生きていきたいと思う。

とりあえずもう一度小坂井氏の『格差という虚構』を読もうと思った。

 

つづく

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

関連図書

 

 

nainaiteiyan.hatenablog.com