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小坂井敏晶『格差という虚構』ちくま新書2021年 読了

日、なんとか読み終えた。この記事は約1500文字である。

読書日記にも細かいことは書いてきたので、部分的に割愛したい。

 

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結論から。

著者によれば、デカルトからスタートした認識論、「心」と「身体」を二つに区別し、「二元論」という誤った公理から始まった近代科学が最終的に「主体」という概念に袋小路をもたらし、社会はそれを袋小路でないかのように「誤魔化す」ために、様々なレトリックを用いて隠蔽し、「格差」の正しい理解がなされていない、という結論である。

 

 

今日は「行為」「精神」「犯罪」「責任」の章を読み、結論まで読み進めた。

であるので、今回はその項だけを扱い、最後に僕の感想を書く。

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まずは「意識」と「意志」の区別をまとめる。

詳しくは「リベット実験」で検索を。

「手を動かそう」と意志し、手を動かす。

人間は手を動かそうと思って、実際に手が動いた「事実」によって、「意志」の存在を認識する。

一方で、動かそうと「思わずに」、つまり心理的には「無」の状態で、咄嗟に手が動いた時、そこに「意志」はないように見える。

ところがリベット実験では後者にも0.2秒前に手を動かすという意志が「存在する」ことが確かめられた。

これが、意識の制御不可能性の根拠となる。

 

 

次に犯罪の話に移行する。

よく考えれば誰にでも分かる。

「バレなければいい」

つまり、飲酒運転をして「たまたま」飛び出してきた子供を跳ねれば罪に問われるが、なにもなかった場合、損害を与えていないため罪に問われない。

責任には結果を原因と結びつける論理が常に働く。

ところが意識は、厳密には制御不可能である。

それでは責任の説明にならないので、意識は「形成されたもの」とみなそうとする。

そこで「人格形成責任論」が持ち出される。

 

 

人格形成は世の中に生まれた瞬間に始まる。

しかし、無限に辿らなければならなくなる。

著者によれば、それこそが主体という概念を用いた結果の「袋小路」であるわけである。

著者の言葉を引用する。

"行為の原因たる意志や意図は心理状態ではなく、責任を帰属するためのイデオロギーであり政治装置である。" P271

 

 

犯罪が起きても責任の所在がなければ被害者は怒り狂う。

著者によれば、「犯罪者」なるものは感情を抑制するための装置である。

 

 

かくして、主体というものの虚構性が明かされた。

能力主義による格差は正当され得ない。何故ならば原因を「内因」に求めることは「不可能」であるからである。

心は分散している。そして、心は常に外的要因、つまり環境に作用されつづけ、それが無限に重なる。

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感想

まず、僕は受け売りではないことを示したい。

というのも、僕も心身二元論の虚構性は理解していたつもりであり、多元的に物事をみていたつもりである。

 

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著者は「偶然」の力に期待している。

系という、物理の概念によれば、系と系同士がぶつかり合う確率の複雑性、計算不可能性に神秘的なものがある。

(例えば、旅行先で知人と偶然に再会するような現象)

それをセレンディティと人は呼ぶ。

その力を信じることに尽きるというものであった。

 

 

僕もセレンディピティに関してはいろいろと書いてきた。

そして僕も信じている。

 

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僕は過去に、数学や科学が過去の遺産を陳腐化させるとも書いた。

 

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一時期、どうしようもないほどに数学と科学を嫌っていた。

でも、今となってはそれも良い思いでのひとつである。

嫌なことを知ることは悪いことではない。

それを活かせばいい。

格差というものが苦しめるのであれば、やはりそれを利用するしかない。

逆転の発想で生きれば良い。

 

 

最後に僕の好きな言葉を書いて終わりにしたい。

「大事なことは自分に起こったことではなく、起こったことにたいして自分がどうするか、である。」

つづく