『格差という虚構』を読み進める。
導入部分では環境と遺伝の分離不可能性が示された。
過去、双子の研究や養子の研究が実証的に行われ、環境が能力を向上させる根拠はあるものの、その結果に関して、遺伝による要因を環境から分離して説明することは不可能という見解であった。
次に、平等概念について考察が進む。
今の常識では、規制のない完全な自由競争のもとでは必ず格差が生まれることが想定されていて、それを防ぐために独占禁止法などの規制をかけて、また、所得税などによって富裕層の富を一定の割合で下の層へと再分配することが行われている。
それでも昨今の現状をみれば分かる通り、格差はとどまるところ知らず、貧困が問題となっている。
正義とは何か。という問いが無限につづいているという状況である。
本書は主権の話にまで遡る。
ルソーの原子論的個人主義、ホッブズの「神⇒主権者」の構想は結果的にうまく機能しなかった。
それは、裁判の歴史をみればわかるという。
アメリカやフランスでは結果的に法改正が行われ、裁判の仕組みが改良されていった。
そのことが、国民主権というものが「虚構」であることになるという結論に導かれていく。
詳しくは割愛。気になる方は本書をご拝読を。
選挙にも「虚構」がみられるという。
近年、西欧ではポピュリズムを克服するために「くじ引き」が見直されているという。
心理的に人は自分で決めたことに従うというものがある。
しかし、ポピュリズムにおいてそれは本当に「自分で決めたこと」なのだろうか。
という問題が立ちはだかる。
ここでようやく導入部分と繋がる。
自分で決めたと「思わされている」とすれば、全ては再生産の繰り返しになる。つまり富が富を生むという現状はいつまでも変わらないというお話であった。
この本は内容的に重い。
慎重に読み進めたい。
つづく