読んだ本
その他数冊
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日記
『正義と腐敗と文科の時代』
小室直樹は、天皇イデオロギーが承久の乱によってほぼ消滅しかけたと書いていたが、渡部昇一も似たようなことを書いていた。
"私の流儀では簡単に言えば、承久の変によって「主権在民」の原理が、天皇と共存するようになったということである。" P37
承久の乱と承久の変という言葉の使用法は、なんらかの解釈的な相違があると思われたが、今日は判断を保留にして、そのままとりあえず読み進めた。
途中、読むこと自体が目的となっているような感覚を覚えた。
一息入れ、少し整理した。
最終的には小室直樹の「アノミー」について立体的に把握し、自分がすべきことを今まで以上により明確にし、解像度を上げていく、という方向性でいいのではないかと考えた。
難しく考えることはない。
自分にできることは有限であり、限界もあり、できることをできるだけやるしかないのである。
・・・
話の流れは三島由紀夫に移行した。
個人的な感覚だが、2023年は三島由紀夫関連の本が多かったように思う。
平野啓一郎『三島由紀夫論』然り、小室直樹『三島由紀夫が復活する』然り。本書も部分的に三島由紀夫論である。
なぜだ?
三島由紀夫生誕100年は2025年であって、まだ若干早い。
これもまた、考察に値する。
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渡部いわく、三島由紀夫は羨望の的だったらしい。
大学生は英語、独仏、ラテン語、ギリシ語という順番で外国語を学ぶそうであるが、ギリシャ語は相当な余裕がなければ勉強する暇がないようである。
三島由紀夫は大学生の頃からギリシャ語を学んでいたという噂があったようである。
三島由紀夫はギリシャに行き、なにか得るものがあったと書かれていた。
(三島由紀夫の言葉)"「私はあこがれのギリシャに在って、終日ただ酔うがごとき心地がしていた。古代ギリシャには<精神>などはなく、肉体と知性との均衡だけがあって、<精神>こそキリスト教のいまわしい発明だ、というのが私の考えであった」" P70
渡部昇一は、それと同時に『葉隠』を座右の書としていた三島由紀夫に若干の矛盾を感じ取っていた。
三島由紀夫自決のニュースを知った渡部昇一はカフェで考え込んでいたのだという。
本書からは多くの問いを与えてもらい、良い本だなと感じた。
つづく
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『読むと書くーー井筒俊彦エッセイ集』
メモ
"十九世紀が終り、二十世紀が始まろうとしていた頃、ヨーロッパの知識人たちの間には、異様な危機感が流れていた。「世紀末」の憂鬱。" P529-530
"日常的存在形姿の壁を突き破ろうとするこの思想操作は、しかし、当然、日常的意識の壁を突き破る操作を不可避的に結びついている。いわゆる「現実」が欺瞞的であるのは、要するに、それをそう見るーーそれをそういう形でしか見ることのできないーー人間意識が欺瞞的であるからではないのか。こうして全ては、主体性のあり方の問題に還元される。" P531-532
かくしてフロイトは精神分析を、フッサールは現象学へと舵をきることになる。
また、宗教学者ミルチャ・エリアーデはこのことを強く感じていて東洋哲学に興味をもったと書かれていた。
ユングが仏教に興味をもった理由ももしかしたら同じなのかもしれない。
河合隼雄の本を思い出した。
統合失調症患者の描く絵が東洋の曼荼羅と関係があることをユングが見出した。
そして、ユングの考えが先を行きすぎていて当初は理解されなかったと書かれていた。
先を行きすぎていて理解されない人は古今東西多くいただろうと思われる。
現代にもどこか影でものすごい発見をしている人もいるかもしれない。
アンテナを広げて、物事の本質をついている人の本をもっと発見して読みたいと思うようになった。
つづく
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