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感想
濃密な物語であったがゆえに細かい部分までは把握しきれなかった。
ひとまず1ページ1ページしっかり読み通すことだけを心がけた。
本書はスケールが大き過ぎるのでひとまず今日感じたことだけを書き残す。
(ネタバレ含む)
・・・
人間は意味を求める生き物である。
意識せずとも、どこかで必ず無意識に意味を求めている。
「それをして何になる」と問わずとも、「とりあえずやってみることに意味がある」と自身を納得させることで行動に移す生き物である。
そうでなければ、何かの信念に基づいて行動を意味付けしているか、何かの欲望に基づいて行動しているか、いずれかである。
結果的に無罪となったが、村瀬は何故盗みを働いたのか。
そのことについて、215項に部分的には描写されてはいたが、全てではない。
また、物語のなかで村瀬の分裂病を匂わせる描写があったので、もはやミステリー小説と同じように、推察するしかない。
このことを帰り道に考えていたが、今日の結論としては、本人の意志と行動の繋がりが見えなかった。
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・意味という名の価値体系に自己を投じてはいけない
意味にこだわると虚無になる。村瀬はその典型的なひとつの例であるように思えた。
権力が正義を規定するのであれば、自分が権力側にならなければならないと考え、彼は革命に身を投じる。結果的には敗北し、8年後に敗北した革命の清算をするため自らつまらない罪を犯し、投獄される。
懲罰を受けるため、自ら投獄されにいった理由は不明であるが、最後は無罪判決を受け、法からも相手にされないという描写に終わる。
無意味な存在から無への転落。
村瀬は失敗に終わった革命の屈辱感を社会に訴えたかった。
それは分かる。ただ表現の仕方は理解できない。
物語的には、意味を求めつづけた結果、最後には「無」という残酷な結末を向かえるという筋になっている。
だから逆説的には何も求めないほうが宜しい、と言えるほど簡単な小説でもない。
正直なところ、この物語はスケールが大きすぎる。
ひとまず、しばらく高橋克己文学に浸りたいので次は『悲の器』を読みたい。
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