こちらは昔書いた稚拙な記事です。よろしければ読書日記シリーズをご覧下さい。
なぜ人を殺してはいけないのでしょう。
小学生の答え:いけないから、だめだから
中学生の答え:法律でそうなっているんで
高校生の答え:社会とか混乱する、戦争が起きる
哲学者の答え:その問いにこそ理由がある
??
さて、どう思いますか。
まず、法律なんてものは一度抜きにします。
人は日々あらゆる規則によって、その規則そのものの存在意義を忘れがちです。
人を殺してはいけない。なぜだろう。
しかしもう答えが出ているんですね。実は。
人を殺してはいけない。その問いがある時点で、実は悪いことだと直感で知っているのです。法律で決まっているから。いえ、そんなことは関係なしに。
なぜだめなのだろう。その問いが生まれる理由とはなぜなのだろう。やはり、その問いが生まれる前から、人を殺してはいけないと「知っている」のが先なのでしょう。これは深いことです。言語には意味がありますが、初めから意味があって、その後に言葉とつながる。「意味」が先で、「言葉」の取得が後なんです。
「人を殺してはいけない」が先で、「法律が~」は後なんです。これ、考えれば考えるほどそうたどり着くんです。実は身体が知っているにもかかわらず、それに気づかないから問いが生まれてしまうんです。
結論。「なぜ人を殺してはいけないのか」とは、まさに「その質問があるから」となるわけです。
さてどう思いますか。