読んだ本
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日記
『 [新版] 岡本太郎と横尾忠則』を読んでいろいろと考えをめぐらせたあと本書を読んだ。
レーモン・クノーは話し言葉と書き言葉についていろいろと書いていた。それを読みながらふと思った。
哲学の論文はいま、当たり前ではあるが全て書き言葉である。
しかしホワイトヘッドをもってしても「近代の哲学とはプラトンの注釈だ」と言わざるを得ないこの状況とはいったい。
ニーチェ「神は死んだ」だけではない。プラトンもまた「死んだ」。
スーザン・ソンタグが言っていたではないか!
芸術とは抽象を具象に、具象を抽象にすること、と。
であれば、こう言うことができるのではないか?
「哲学が芸術的に操作されることによって文学は生まれる」と。
・・・
"私は子どもが皆するようにしたのです。そしてほとんどの若者がするように、私はそれを続けました。そして何人かの大人がするように、粘り強く続けました。私には粘り強さが必要でした。なにしろ私の最初の詩が雑誌に出たとき、私はおよそ35歳になっていたはずです。" P32 (『棒・数字・文字』)
レーモン・クノーはシュルレアリスト、アンドレ・ブルトンと交流があったそうであるが、のちに彼のグループから離脱したことについて書かれていた。
"私にはまず、すさまじい反撥と激しい嫌悪感がありました。『オディール』[1937] という小説を書くことによって初めて、それを払拭できたのです。" P34 (『棒・数字・文字』)
示唆的な言葉はすぐにメモした。
"言語には力があります、が、どこにそれを用いるかを知らなければなりません。" P42 (『棒・数字・文字』)
・・・
『アベル・サンチェス』
情熱の哲学者と呼ばれるウナムーノの小説を読みたくなった。
現在読んでいる小説『ラ・ボエーム』、『の、すべて』、『マーティン・イーデン』と中途半端に止まっている小説が多いが、とりあえず読みたいときに読むのが一番だと思った。
つづく
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関連図書
幻戯書房の本