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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

読書日記1222

読んだ本

ジェフリー・ロバーツ『スターリンの図書室:独裁者または読書家の横顔』白水社 (2023)

ヴォルテールカンディード 他五篇』岩波文庫 (2005)

スーザン・ソンタグ『私は生まれなおしている:日記とノート 1947-1963』河出書房新社 (2010)

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日記

 

だいぶ久しぶりに紀伊國屋書店新宿本店へ赴いた。

店内がリニューアルして綺麗になったのはいいのであるが、正直なところ個人的には前の配置がよかったと思っている。

人文書関連のコーナーが非常に狭い。ひとり立ち読みしていたら狭すぎて通路が塞がれるときがある。ジュンク堂書店を見習ってもらいたいものである。

文庫本のコーナーもなんとなく狭くなった感じがある。もう少し開けた配置だったので本店に行く動機が薄れてしまっていた。

 

・・・

 

とは言いつつも、新宿本店の魅力は文学のラインナップが素晴らしいところである。

ジュンク堂本店も非常に素晴らしいのであるが、紀伊國屋書店には紀伊國屋書店の独自性がある。

ジュンク堂本店にない本が紀伊國屋書店で置いてあることが多い。

なので定期的に行く価値のある魅力的な本屋さんであることに変わりはない。

 

 

しかし帰りはうんざりした出来事があった。

なんらかの右翼団体による街頭宣伝があまりにもうるさすぎた。

そして何を言っているのか、音の反響の関係でさっぱりわからなかった。

加えて口調の荒さが目立った。

品性のかけらもない。あんな連中が政権を握ったらと思うとゾッとする。目的がいまいち分からない、よく分からない街頭宣伝であった。

思想を広めたいのか?であれば体系的に本にして出版したほうがいいのではないか。

やっぱり目的が分からない。

まだバ~ニラ、バニラバ~ニラ♪のほうが面白いので幾分か好感が持てるくらいだ。

 

・・・

スターリンの図書室』

スターリンは息子に『ロビンソンクルーソー』を「読め」と言ったり、ゾラを尊敬している点、歴史書を愛好している点など、非常に読書家であることが読んでいて伝わってくる。

なぜ知性と良心は必ずしも一致しないのか。

そこは大いなる疑問である。

 

"スターリンが本を愛したのは、思想や情報が得られるからである。(・・・)スターリンにとって書物は精神の道具であり贅沢や飾りではなかった。このような態度で書物と関わった人物はスターリンだけではない。レーニントロツキーカーメネフブハーリンボリシェヴィキの最高指導部を構成する人材は、誰もが蔵書家であった。" P33 (『スターリンの図書室』)

 

それを端的に表すエピソードが紹介された。本が1ページとれてしまうとスターリンは激怒し、修復するよう命じた。いかに書物を大切にしていたのかが伝わる。

 

 

思想面についても書かれていた。スターリンの思想は、いうまでもなくマルクス主義に依拠していた。

"スターリンは疑いなく教条主義的なマルクス主義だった。" P39 (『スターリンの図書室』)

 

自分は考えた。

スターリンによる悲劇は何によるのか。

それはマルクスの誤読なのか。マルクスの悪用なのか。それともマルクスの理論自体に欠陥があるのか。全ては部分的に一致しているだろう。しかし複雑に絡み合い、そのもつれをほどくことは不可能だ。

 

スターリンは自身が英雄視されることに懸念を示した。

国民の知性というものを重要視したのかもしれない。教条主義は脆い。中身がスカスカなものはすぐに壊れる。実践は理論による基礎づけありきなのだ。

スターリンは自身の自伝を誇張的に書かれた本の発禁を命じたと書かれていた。

 

"スターリンによれば、「英雄たち」は行動によって既存の社会秩序を根本的に変えることができる。一九一七年に社会主義革命を主導したレーニンの決意は卓越した事例であると言いつつ、マルクス主義が正統とする決定論スターリン主意主義のひねりを加える。個人は歴史的プロセスを体現し、社会発展の法則に従って行動する限りにおいて重要な存在である。しかし献身的にスターリンを個人崇拝する者たちは、英雄の人生を叙事詩のように描きたいと切望しているのだ。スターリンはこのように論じた。" P52 (『スターリンの図書室』)

 

・・・

カンディード 他五篇』

哲学的な物語がつづく。

読んで少々疲れるときがあったが、示唆的な文章は書き写した。

"「不可解きわまる人間よ」と彼は叫んだ。「いったい、どうしたらこれほどの下劣さと偉大さ、徳行と犯罪とを統合させることができるのか」" P53 (『カンディード 他五篇』)

 

戦争の現場にいる人間は、今日の会社員のように「生活のため」にしている。

賃金がなければそんなことは普通やらない。殺しが「義務」となるのが戦争である。

そこに倫理など持ち出される論理はない。倫理は政治に対してあまりに無力である。

人を平気で殺すのは野蛮だ。殺人事件が起きれば「あり得ない」とみんな口を揃えて言う。しかし政治や戦争については、自体が複雑であれば複雑であるほど人は口を閉ざす。

これは矛盾ではないか。人は大きすぎるものは目に見えないのかもしれない。

 

 

自分は発想を変えてみた。

倫理自体が空虚なものなのではないか。

倫理は実態からかけはなれたものなのではないか。

 

 

しかし結局は分からないことが多い。

政治と倫理の弁証法的法則によって、いつか政治と倫理の意味を含んだ新しい概念が現れることに期待。

 

・・・

『私は生まれなおしている』

 

メモ

"生き生きとしているということを知るためにはーー [ ロマン・ ] ロラン『ジャン・クリストフ』のほうを選ぶ" P20 (『私は生まれなおしている』)

 

 

有隣堂で『ジャン・クリストフ』をパラパラ立ち読みした。

これはゆっくり読むとすれば読み終わるのに2ヶ月かかるかもしれない、と思った。

ジャン・クリストフ』を称賛する声はちらちらと聞く。

読みたい、、が最後まで読める気がしない。

 

読みたい本が多すぎるが、執行草舟氏が『日本の美学』で語っていたのは、文学はゆっくりと読んだ方がいいというものであった。

そうなると、いま自宅の部屋にある本を全部読むにはおそらく5,6年かかってしまう。

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