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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

読書日記1226

読んだ本

坂本龍一『龍一語彙 二○一一年ー二○一七年』KADOKAWA (2017)

ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』白水Uブックス (2022)

マックス・ヘイスティングス『ヴェトナム (上) :壮大な悲劇1945-1975 』白水社 (2023)

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日記

 

『龍一語彙』は分厚いので、パラパラめくって気になればそこを読む、という具合に読み進めた。

文学、趣味、イデオロギー、食べ物などトピックが多岐にわたる。

坂本龍一の考え方、思想を覗きみた。

信号のくだりの話は面白かった。

車が通る気配がないのにもかかわらず、赤信号で止まるなんて馬鹿馬鹿しいということを坂本龍一が言っていた。

似たようなことを池田晶子も書いていた。

『14歳からの哲学』のなかの、規則とはなにか?といったトピックだった覚えがある。

 

 

端的に言えば、秩序のための規則なので、もともと秩序があればそこに規則は不要だというのが池田晶子の考えだった。

自分も同意する。

一時、自分もこのことについてバカみたいに考えた時期があった。

付随して、このトピックは習慣と無意識について考えさせられた。

 

 

赤信号のとき止まるのは、事故を防ぐ為にあるという前提で考えれば、無視するかどうか、歩行者の場合に限っては各々の判断能力に委ねられる。委ねられるべきである。

規則があることによってたしかいに秩序は生まれる。しかし、人はその規則が「何のために存在しているか」を了解していなければ本末転倒である。

やがて人は何も考えずただ規則を守っていればいい、ということが習慣になり、やがて無意識に侵食していく。

その弊害として、習慣を破ること(歩行者が赤信号を無視すること)に対する何らかの偏見、誤った考えの発現を許してしまうことにある。

 

実際Twitterにはそういった投稿をたまにみる。

したがって、本来さきにあるべきは「判断能力」であって「規則」ではない。

というのが池田晶子の言いたいことであったと記憶している。

自分も同意する。

 

坂本龍一は言う。

"僕が世界のあちこちに行って思うのは、管理社会の圧力が世界的に高まっているということ。極端に言えば、路上にごみひとつ落ちているのも許さないような、社会にモノ申す者を排除する力が強まっている。" P100

 

何のためにどういった規則が存在しているのか。

制度や法律には必ず歴史的背景がある。

歴史の勉強が大事な点はまさしくこの点にあり、だからこそ大人も歴史を勉強しなければならないとつくづく思う。

 

人は何のために何をしているのか。

池田晶子がよく使う言葉だが、自分も常に意識している。

 

・・・

『ヴェトナム (上) 』

 

1950年代のヴェトナムの荒廃ぶりに驚いた。

日常的な殺戮、組織的な不正の連続。

共産主義にまるわる話は(ポル・ポトも含め)なぜこうも虐殺の連続なのか。

自分にはさっぱり理解できないことが多い。

 

 

今日は一旦停戦した第一次インドシナ後の話を読んだが、相変わらず殺戮の日々であったことにある種の苛立ちを覚えた。

共産主義は資本家の搾取が気に入らなかったのは理解できる。

だからといって、資本家を虐殺までしてその座を引きずり下ろしたいのか。

その点がさっぱりわからなかった。

 

"北部人のドアン・フオン・ハイの祖母は、地主として起訴され、尋問を受け、告発され、資金を没収されて、見る見る老いていった。(・・・)地主階級全体が制度的な侮辱に遭遇していた。" P170

 

ちょっとだけ土地が広いというだけで因縁をつけられたという話もあった。

共産主義者に潜んでいたこの暴力性は何に起因するのか。

そこが知りたいところであった。

つづく

 

 

メモ

物質的な貧困が人を元凶にさせるのか、それとも精神の貧困があらゆる貧困の元凶なのか

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関連図書

 

 

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