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読書日記1184

読んだ本

マーティン・ガードナー『ガードナーの不思議な最終講義』青土社 (2014)

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日記

 

100/89、10000/9899、1000000/998999のように、分子に2つゼロを増やして分母の両端に9をひとつずつ増やす、という手続きを繰り返すことによってフィボナッチ数列が商の値として表れるという、不思議な話について読んだ。

形式的な操作によって偶然発見することは、プラトン的な「想起」としての発見とどのように違うのかについて自分は想いをめぐらせた。

 

 

抽象と具象についても想いをめぐらせた。

数学は抽象的とよく言われるかもしれない。

理論と実践という二項対立で考えれば数学は理論に近い。理論は抽象で、実践は具象。

次に直接と間接の二項対立について考えた。

そこに「効果」という概念と合わせて関数的に考えてみる。

 

 

直接的な効果と間接的な効果。

直接的な効果は目に見える。ゆえに定量的。

間接的な効果は目に見えない。ゆえに定性的。

定量的なものは抽象的か?そうは思えない。具象である。

定性的なものは抽象的なことが多いように思える。

 

 

数学は定量的なものだ。りんごの数の計算、サイコロの確率を扱う問題も定量的だ。

しかし数学は抽象ではなかったのか?数学は理論だから具体的なものではない。

しかし今「効果」という概念を導入して関数的に物事を考えてみた結果、たしかに直接性は定量的であった。目に見える数字は具象で定量的。ゆえに数学は理論的で抽象ではない。実際には具象に近い。

言葉のレトリックなのか?単なる言葉遊びなのか?

人は言葉と概念というものを、実は実際にはあまり深いレベルで捉えきれていないのではないだろうか。

この不思議な感覚はなんなのか。

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関連図書

 

 

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