読んだ本
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日記
『人民の敵 外山恒一の半生』
普通の人間であれば、外山恒一という人物を良くは思わないだろう。
「人民の敵」というタイトルが全てを物語ってる。
半分ほど(180ページ弱)読んだ。
少年時代から20代半ば頃までの半生を読んだ。
昭和後期から平成にかけて、いまでいう「少年革命家ゆたぼん」のような人物だ。
外山氏の場合は、彼よりも、熱が入っていた。
ただ登校を拒否するのではなく、教員や校長とバトルをする。
Youtubeというプラットフォームがなかった時代の話だ。
ビラ配りという手段でしか表現をすることができない。物理的制約。
そういう意味では今の方がより自由度は高いと言える。
・・・
20代は誰しもが失敗を重ねる年齢だと思うが、外山氏も明らかに失敗が多いようにみえた。
ただ、その分、力になったことも多いように感じた。
行動力は尋常ではないが、思想が空っぽだった感は否めない。
ただ反抗することにしか頭にないようにみえた。
自由のために行動するのではなく、目的が権威に反抗するということしかないのではないかとも思えた。
実際、今でもアナキズム路線を貫いているということから、核は変わらないのだろうと感じた。
西部邁は「自由と秩序の均衡は活力」と書いていた。
そのとおりだと思った。
20代前半までの外山氏の言う「自由」とは、実際には活力のない自由なのである。
権威という存在ありきの「抵抗(または反抗)」なのである。
思想が空っぽとはそういう意味である。
ただ、若気の至りというのは自分も痛いほど経験している。
失敗を積み重ねた人間を自分は否定しない。
本書を読むと、行動家の矛盾が聴衆からのフィードバックによって明るみになるのであるが、こういうところは非常に勉強になると思えた。
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『執行草舟の視線』
本書を読むと、科学と人文知がパラレルになっているということに、ますます実感がわいてくる。
『失楽園』から物理学や経済学を学んだと執行草舟氏は言っていた。
池田晶子も、量子力学の台頭は科学という合理主義の限界だということを書いていた。自分で考え抜いて到達した場所からは、きっと様々な分野の学問が地平線を眺めるようにみえてくるのだろうと感じた。
・・・
アンドレ・マルローと三島由紀夫が似たようなことを言っていたらしい。
「水爆のボタンは押される」
21世紀はまだ1/4ほどしか進んでいない。
これは他人事ではない。
合理主義は必ず破綻する。
それを心に刻み、明日も本を読む。
つづく
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