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感想
『日本の美学』のなかで「分からぬがよろしい」という言葉を記憶にとどめたが、どうしても読書をして何かを掴みたいと考えている自分がいたことを、本書を読んで痛感した。
好奇心がある以上「分かりたい」と思うのは当然ではあるが、それが「得をしたい」と心の深いところで思っているから生まれる考えであると執行草舟氏は語る。
若いうちは自分もそうであり、それは悪くないとも語られた。
ふり返れば、このブログで1085回書いた読書日記の99.9パーセントは「分かりたい」が根底にあったことは疑い無い。
執行草舟氏は、読書は問いを探すためにするものだと語る。
問いが生まれるには何かを分からなければいけないわけであるが、損得感情が根底にある問いとそうでない問いには大きな差があるように感じた。
自分も問いについては意識してきたつもりであった。
「はてなブログ大学文学部」の前の名称は「問い屋さん」だったと記憶している。
問いの大切さは執行草舟氏の本を読む前からある程度は分かっていたつもりであった。
それでもやはり、「この本を読解して制覇してやる」という構えは、ここまで執行草舟氏の本を読んできて、そろそろやめてみようと思い始めた。
好奇心は暴走するとあれを知りたいこれを知りたいが止まらない。
自分は『ホモ・デウス』を読み終えた頃から好奇心が衰え始めた。
よい機会かもしれない。
しばらくは原点に戻り、文学と哲学を中心に読んで今一度「人間とは何か」といった根源的な問いに戻ろうと思う。
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メモ
キルケゴール「信仰とは、自己自身を確保するために、自己自身を喪失することである」=シモーヌ・ヴェイユ「心を真空にすること」=不幸を厭わないこと=松下幸之助「人間の崇高」
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