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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

読書日記1190

読んだ本

高島和哉『ベンサムの言語論:功利主義プラグマティズム慶應義塾大学出版会 (2017)

ベンジャミン・クリッツァー『21世紀の道徳:学問、功利主義ジェンダー、幸福を考える』晶文社 (2021)

ホルへ・ルイス・ボルヘス/オスバルド・フェラーリ『記憶の図書館ーボルヘス対話集成』国書刊行会 (2021)

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日記

 

ベンサムが再評価される経緯について読んだ。

ミルやシジウィック、その他の研究者がベンサムの研究を通じて功利主義の理論が洗練されたからだということであった。

「カントの義務論vs功利主義

政治哲学がこの二つに分かれる境界線というものに自分は興味がある。

まずベンサムの科学的方法論についてノートにまとめた。

 

・経験主義的であること

・還元主義的であること

定量的であること

 

ベンサムは幸福という概念を計算化することにその独自性がみられるのだという。

近代化してくなかで、同時に科学、統計学、数学の発展に伴い定量的な世界観が醸成されていったなかに生まれた思想なのかもしれないと読んでいて感じた。

 

 

次にベンサムの考える、名詞の分類についてまとめた。

ベンサムは言葉の定義を非常に厳密にすることが不可欠だと判断したようである。

名詞は二つに分けられるという。

・現実的実体の名前

・フィクション的実体の名前

 

端的に、存在するかどうか。「ドラゴン」や「幻獣」というものは架空の動物である。

こういうものが後者とされる。

しかし「社会契約」「自然法」「自然権」も後者に含まれていると書いてあった。

 

 

とはいえ言葉としては存在するし、人々の共通認識としても機能する。じゃあ現実的実体とどう違うのか。これを「パラフラシス」というフィルターにベンサムはかける。

パラフラシス論についてしばらく読んでいたが若干ややこしいものであったので、まとめは次回以降に行いたい。

「量」「形相」「存在」という名詞は、物質として存在しないが人間の認識に関与する重要な概念であることは自明である。これはフィクション的実体とは言えないかもしれない。

 

31ページに以上の流れをまとめる箇所があったのでノートに書き写した。

 

"すなわち、カント哲学における「超越論的カテゴリー」とは、我々人間にとって経験の対象ではないにもかかわらず、それらなしには我々の経験する現実世界(カントのいう現象界)そのものが成立しえない諸概念を意味するが、ベンサムのいうフィクション的実体とはーーそのうち特に「絶対的・フィクション的意味」ないしは「物理的・フィクション的実体」(B Ⅷ267)と彼が呼ぶものはーー、認識論的観点からみて、まさにそうした超越論的カテゴリーと同様の役割を担う諸概念とみなしうるのである。" P31 (『ベンサムの言語論』)

 

ドゥルーズの「哲学とは概念のつくることである」という言葉がよく知られているが、概念は経験のうえにのみ成り立つものだと自分には思われた。

「経験ー現実世界ー言語」

抽象的な操作、もしくは遊びによってつくる意味不明な概念は取るに足らない。

哲学は概念をつくること、というのは概ね自分は同意するが、あくまでそれは経験的、現実的であるべきと思った。

 

 

言葉と現実世界を厳密に対応させようと試みるベンサムの発想は大いに共感できる。

 

・・・

 

『21世紀の道徳』の第8章を読んだ。

ケアと倫理学について読んだ。読書日記1189、ジェンダー論のつづきになる。

 

 

ケア論者の主張は、ざっくりまとめると「道徳の基盤は理性ではなく共感であるべきだ」というものになるようである。

これはナチズムの誕生を許した啓蒙主義へのアンチテーゼのようなもので、フランクフルト学派の「批判理論」から派生した思想だとされる。

また、批判しかしない「ポストモダンポスト構造主義」とは違い、「共感を道徳の基盤とするべき」だと「代替案=オルターナティブ」を提出している点が革新的だとされる。

 

これにたいして著者の主張は「安易に理性を否定すべきではない」とし、前回とあまり変わらない姿勢を見せる。

結局、理性的であることは科学的であり、問題の解決は中立的な科学的に行うべきである、という「男性的」な意見に終始しているように思われた。

 

 

本のページの制約上、深入りできない部分もあるだろうが、自分は本書の短い論考だけではクリッツァー氏の理論は分かりかねるし、ケア論者の理論もまた分かりかねる。

正直短い。端的にまとまっているが、もっと深い話ができるんじゃないか、もっと語ることはあるんじゃないか、という内容だと自分には思われた。

また新しい本をクリッツァー氏は出すかもしれない。あれでは物足りないだろうと、自分は察する。

 

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