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読書日記1038

読んだ本

エドガー・カバナス/エヴァ・イルーズ『ハッピークラシー:「幸せ」願望に支配される日常』みすず書房 (2022)

ハンナ・アーレント『責任と判断』ちくま学芸文庫 (2016)

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日記

 

アーレントは世界大戦によって初めて、戦争犯罪人を裁く国際裁判が誕生したことによって、議論が停滞していた道徳に対する問題が再び加熱したと語る。

また、アイヒマン実験(=ミルグラム実験)では、良心を持った普通の人間でさえも特定の状況に追い込まれることによって犯罪に荷担する可能性が示された。

アーレントが『エルサレムアイヒマン』を刊行した当初は、アイヒマンを極悪人としてではなく、ただ上の命令に忠実に従っただけでありどこにでもいる「凡庸な悪」として描いたところに相当な批判を浴びたそうである。

 

 

アイヒマンの立場を経験していない人間がアイヒマンを裁けるのか。

責任の複雑性、道徳の複雑性が浮かび上がった。

自分には、責任という言葉を単純化すべきではないように思われた。

 

・・・

 

小坂井敏晶『責任という虚構』を読んだときの日記を軽く読み直してみた。

小坂井氏は集団的な責任と個人的な責任を区別した。

例えば広場で飢えて倒れている人間が亡くなってしまった場合、そこを通った全員に責任があるのかどうか。これをある個人の責任として特定できるものなのか、という問題があった。

 

 

アーレントは、命令に合意したことは「服従」ではないと語る。

この場合、「善」である生き方とはヒトラーに反逆することであるが、しかしそれは「正義」が絶対的なものであるという考えにもなりそうである。

自己防衛としての、意図せざる殺傷行為は合法であれば、問われるべきは戦争における殺人行為の解釈であるが、正直誰がそれを客観的に判断できるのだろうか。

戦争状態の場合、相手が戦闘員であれば殺傷を行っても合法であるらしいが、戦争のことを考えると終わりが見えないので一旦ストップしたい。

 

・・・

 

『ハッピークラシー』ではまず、ビッグデータの登場によってTwitterやブログなどの「テキストマイニング」から幸福度を定量化(=GHP「国民総幸福量」)できるようになった経緯について書かれていた。

失敗の多かった「ポジティブ心理学」の発展に伴って、幸福度の数値化が可能になった。

これが政策に応用されることによってベンサムが描いた「功利主義」のバージョンアップ、つまり「新功利主義」というものが生まれるのだという。

しかし著者はデータには人間の多元的な価値観が含まれているので単純化することに批判的であった。

 

 

1/5程度しか読めていないが、フロイト神経症など心のネガティブな側面しか見ていなかったのに対し、ポジティブ心理学は心の良い部分に焦点を当てるので、著者が批判的に見るのは共感できるが、特段違和感は感じなかった。

 

 

つづく

 

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関連図書

 

 

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