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感想
終盤は、人間には子殺しが類人猿と比べ明らかに少ないのはなぜか、という点について著者のタイトルである「美の進化」という観点から論じられた。そして最後は芸術と進化生物学の融合について言及され本書は幕を閉じた。
著者は「美による改造説」という言葉を使用した。
"これまでの三章で論じてきたヒトの性的性質や行動の多くと同様に、同性同士の性行動も、女性による配偶者選択という、女性の性的自律性を高め、受精と子育てをめぐる性的対立を減少させる機構を通して進化してきた可能性があると提唱したい。この美による改造説によれば、ヒトにおける同性同士の性行動は、霊長類に共通してみられるオスによる性的強制に対抗するために進化したと考えられる。" P355
本書は、訳者も指摘している通り「美の進化」については多く言及されているが、何が「美」なのかについてはほぼほぼ省略されている。
自分なりに美による改造説をまとめれば、まず本書で論じられる「美」については、機能としての美であって、内容については(つまりなにを持って美とみなすのか)読者にある程度の解釈の余地を残しているように思われた。(つまり、何が美なのかについては筆者は詳述していないのでそれはまだ学者間でも共通の見解は得られていないということである)
機能としての美というのは、具体的にはソクラテス的な「有用性」があるかどうかの問題となる。
ここで「役に立てば美と言えるのか。であれば消ゴムもテストの役に立つから美なのか」という反論がすぐに浮かぶ。
この文脈における「美」は性に関する現象に還元される場合のみであると考えられる。
霊長類のオスは非常に暴力的であり、日常的に子どもを殺しさえする。
しかし人間はそうではない。この違いはなにか。なぜ子孫を残すことに与しない同性愛が存在するのか。
本書を読んで再度思ったのは、生命に与えられた使命、命令は子孫を残すことだけではない、という見解である。
ざっくり(荒く)まとめれば、「美による改造説」はオスによる支配にメスたちが抵抗するために進化したと考える説である。
同性愛もその改造説のなかのひとつとして組み込まれているが、自分はやや神秘的にこの説をとらえた。
・・・
本書では様々な説や考えが散在しているので、これらの理論を一読しただけでまとめるのはおよそ不可能である。
とはいえ、さすがに一週間という長い時間を本書の読書に捧げた身ではあるので多少は掴めたものもあった。
自分は『種の起源』をまだ一読していないのでダーウィンについて言えることは少ないが、自然選択だけで説明できないことを、「性選択」という表現は適切かどうかはわかりかねるが、少なくとも着眼点としては良い点をついているという筆者の見解に同意する。
いかに美しい消ゴムとはなにかという問いと、進化論における「美」の役割とはなにかという問いの大きな差は、当たり前だがその説明が進化論と関係があるかどうかである。
美は誇張して言えば主観的な神秘体験である。
動物に関する本をいくつか読み漁ったが、動物は理性的ではないかもしれないが感性は人間並みか、むしろそれよりも優れている可能性がある。(例えば人間の嗅覚や視覚に勝る動物はいくらでもいる)
自然選択で説明できない類いの進化(生存に不利な装飾が発達する等)がなぜ存在するのか今一度考えてみた。
結局のところ、動物も美を欲しているということに尽きないか。
ただ食べる、寝るだけで生が充実するはずがない。その意味では家畜というのは残酷なものである。
家畜というと自己家畜化を想起するが、本書でも多少論じられていた。
荒くまとめればフーコー『監獄の誕生』で書かれていたような監視社会が人間を萎縮させ、暴力生が失われていくという筋書きであったが、著者の見解としては「美の進化」と自己家畜化はどうやら無関係ではないようである。
余談であるが、フーコーが性について、支配的な言説によって性が決められると言っていてたそうであるが、現代の進化生物学はその見解と一致しており、また、今後クィア理論との融合も考えられるという。
ジェンダー学と進化論、美学に関しては今後統一していく流れにあるように自分は感じた。
むしろそう思わなければ本書を手に取ったとは思えない。
言語化することは難しいが、美というのは科学的にも文化的にも人間の根源に迫る深いカテゴリーに感じた。
そして、この文章を読み直すと痛感するのは、あまりにも雑なまとめ方だというただそれだけであり、もっと研鑽しなければならない。
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