病は気から、という言葉を誰よりも深く信じてしまった男がいた。彼の名はショーペンハウアー。もっとも、世間で呼ばれる哲学者ショーペンハウアーその人ではない。現代の片隅に住み、読書と内省ばかりを糧にしている男が、自分の孤独な性格と不毛な思索を重ねるあまり、いつしかその名を自らに与えただけのことだった。だが、彼が日々抱える悩みは、十九世紀の悲観哲学者の名を背負うにふさわしい重さを備えていた。
彼の悩みとは、「精神科に通う人間は、そうでない人間より病気に罹りやすいのではないか」という執念めいた問いである。
彼は就労支援員として、精神的に不安定な人々と接してきた。毎日のように耳にする訴えは、風邪、胃腸炎、皮膚炎、頭痛。仕事に出られない理由の半分以上が病気で埋め尽くされるのを見て、彼は直感した。「精神の不安は免疫を削ぐ。だから彼らは風邪をひきやすいのだ」と。
しかし直感だけでは満足できない。彼は机に山積みの書物と論文に没頭した。そこには腸脳相関の新説、医原病という苦い語彙、そして統計の残酷な数列が並んでいた。重度の精神疾患を抱える人は肺炎やインフルエンザで死にやすい、というデータ。抗精神病薬やベンゾジアゼピンの副作用としての肺炎リスク。クロザピンによる無顆粒球症。科学は確かに一部を暴いているのに、彼の求める「風邪にかかりやすいか否か」という単純な問いには、どこまでも曖昧に答えるだけだった。
研究者は語る。「交絡因子が多すぎる」「医療利用の差が大きい」「通院の有無それ自体は因果ではない」。統計表の脚注に踊るその言葉は、彼にとって剣ではなく、無力な盾のように映った。
夜更け、彼は古い机に肘をつきながら、かつて愛読したショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』をめくった。そこには「生は苦である」という断言が記されている。だが現代の「ショーペンハウアー」にとって苦とは抽象的な哲学ではなかった。薬を飲み続ける人々の咳、眠れぬ夜にさまよう心、そして「治療」の名の下に失われる抵抗力――その現実が、彼の胸に重くのしかかっていた。
「どうして科学はこれほど複雑なのか。どうして世界は私に単純な答えを与えてくれないのか」
悔しさが喉に突き上げてくる。もし彼がただの支援員でなければ、研究者であれば、数千人の患者データを集め、精緻な統計モデルを組み上げ、薬と病の関係を解き明かすこともできただろう。だが彼には、その力がない。せいぜい夜半に哲学書と医学論文を並べて、徒労に終わる比較を重ねることしかできなかった。
この徒労こそが、彼をして「ショーペンハウアーの悩み」に導いたのである。
悩みは、病そのものではなく、病を測る物差しがあまりに多すぎることにあった。病を「風邪」と呼ぶとき、それは鼻水や発熱といった軽症のことを指すのか、それとも肺炎の前触れをも含むのか。薬の副作用を「罹りやすさ」と呼ぶのか、それとも「重症化しやすさ」と呼ぶのか。定義は揺らぎ、研究ごとに結果は異なり、真実はいつも遠のいていく。
彼の悩みはやがて文学へと姿を変えた。
「この複雑すぎる世界を描き切れるのは、もはや小説しかないのではないか」
そう思い立つと、彼はペンを握り、机上に白紙を広げた。題名は決まっている。「ショーペンハウアーの悩み」。自らの苦い問いを、文学の形に封じ込めようとしたのである。
彼の描く小説の主人公は、哲学者と支援員のあいだで揺れ動く存在だった。病に苦しむ人々を見守りつつ、同時に「病を生む社会」と格闘する人物である。登場人物は患者でも医者でもない。彼らはすべて「データの影」として現れる。統計表の数値が、夜の街角に立つ人影として彼の前に現れるのだ。ある者はインフルエンザで倒れ、ある者はクロザピンの副作用に泣き、ある者はただ「風邪をひきやすい気がする」と呟くだけ。
ショーペンハウアー=彼は、その幻影と対話を重ねていく。
「あなたは本当に病なのか、それとも診断の名で呼ばれただけなのか」
「あなたは薬に倒れたのか、それとも病に倒れたのか」
「あなたは風邪に罹ったのか、それとも世界の悲観に罹ったのか」
問いかければ問いかけるほど、答えは霞のように消えていく。だが不思議と彼の胸には安らぎが広がっていた。問いが解けないからこそ、人間の生は深みを帯びる。答えのない問いを抱えたまま生きること、それ自体が文学であり哲学である、と彼はようやく思い至ったのである。
窓の外では、季節外れの冷たい風が吹いていた。彼は鼻をすすりながら、ふと自分も風邪をひきかけているのではないかと気づいた。苦笑が漏れる。「やはり私は、この問いから逃れられないのだろう」
しかしその瞬間、彼の中で一つの確信が芽生えた。病は気から、という言葉は、真理の一端でありながら、同時に「気が病を形づくる」という逆説でもある。病は身体にだけ宿るのではない。問いそのものが病を生み、問いを抱える者こそ病を生きるのだ。
だから彼は決意する。答えを求め続けるのではなく、問いの形を物語として刻むこと。風邪に罹りやすいか否か、その真実を解明するのではなく、解明できない悔しさそのものを作品として残すこと。
「ショーペンハウアーの悩み」と題した小説は、こうして始まった。
彼は原稿用紙の上に、ゆっくりと最初の一行を書きつけた。
――「この世界は複雑すぎて、私はいつも悔しい」。
それが真実である限り、彼の物語は尽きることがない。