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バズを真実の証明にするのやめてもらっていいですか?

〇〇するのやめてもらっていいですか?シリーズ

 

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ある朝、目を覚ますと、自分の投稿が「バズっていた」。通知が止まらず、知らない人々からの「いいね」と「リポスト」が押し寄せる。アルゴリズムの気まぐれに拾われた言葉が、数十万の人々の目にさらされる。そこではもはや、内容が真実かどうかなど問題ではない。「バズった」という事実そのものが、発言を真実らしく見せてしまう。これが現代における最大の錯覚だ。

バズは、あまりに軽い。たまたまの言葉遊び、刺激的な表現、あるいは単なる誤解。そうした断片がアルゴリズムに適合し、拡散する。だが、その拡散が「正しさ」を保証するわけではない。むしろ、誤解や偏見ほど拡散しやすい。短く、強く、誤読されやすいものが、アルゴリズムの寵児となる。そして、私たちはそれを「大勢が共感している」という理由で「正しい」と思い込んでしまう。つまり、バズは真実の証明ではなく、群衆心理の増幅装置にすぎないのだ。

それにもかかわらず、インフルエンサーはバズを「社会の声」と言い換える。数万リツイートが「国民の総意」として流通し、数百万回再生された動画が「常識」として扱われる。だが、その背後にあるのは単なる「アルゴリズムの偏向」でしかない。何百もの投稿の中で、偶然条件に合致したものだけが持ち上げられる。それを「世論」と呼ぶのは、あまりに乱暴だろう。だが、現代人はその乱暴さを見抜かない。いや、むしろ積極的にその乱暴さを求めている。なぜなら「バズったもの=真実」という単純な図式は、思考の手間を省いてくれるからだ。

文学的に言えば、バズは「真実の仮面」を被った道化である。彼は群衆の前に立ち、喝采を浴びる。群衆は笑い、涙し、うなずく。だが、道化が去れば何も残らない。翌日には別の道化が現れ、昨日の喝采は忘れ去られる。バズとはこの「忘却の早さ」こそが本質である。だが我々はその忘却を前提にしながらも、一瞬の熱狂を「真実」と錯覚する。ここに現代の悲劇がある。真実が忘れられても困らない時代には、そもそも真実が必要とされていないのだ。

社会批評の観点から見れば、バズ文化は「権威の空洞化」を加速させている。かつて真実の証明は、学術的検証や報道機関の調査、あるいは歴史の積み重ねによってなされていた。だが今や、数時間の拡散と数千の「いいね」が、学問や歴史を凌駕してしまう。調査も検証もなく、ただ「バズった」という事実が、発言者を権威に変える。これは恐ろしい事態である。なぜなら、真実が権威を生むのではなく、バズが権威を生む時代に突入したからだ。

そして皮肉なことに、バズを追い求める人々は「真実を広めたい」と口を揃える。だが実際に広まるのは、真実の複雑さではなく、真実を単純化したスローガンである。「バズるための真実」と「真実そのもの」は別物だ。真実はしばしば退屈で、矛盾に満ち、誰もがすぐには理解できない。だが、バズは瞬時の快楽を要求する。だから、真実の複雑さは削ぎ落とされ、残るのはキャッチコピーだけになる。つまり、バズとは真実の「骨抜き」であり、真実を殺す華やかな舞台装置なのだ。

それでも、人々はバズを求める。なぜか。孤独だからだ。数万の人間が一斉に「いいね」を押す瞬間に、自分の言葉が世界に届いたと錯覚する。だが、それは錯覚にすぎない。数万人の「いいね」は、数万人の「気まぐれ」の集合であり、あなた自身への関心ではない。あなたが消えれば、群衆は別の対象に「いいね」を押す。だが、それを理解しながらも人はバズを求め続ける。なぜなら、錯覚であっても孤独を忘れられる瞬間が欲しいからだ。

では、バズを真実の証明にする社会は、どこへ向かうのか。おそらくそこでは、誰もが「いかに正しいか」より「いかに目立つか」を競い合う。倫理より演出、誠実より速度、事実よりスローガン。こうして言葉はますます空虚になり、真実は市場価値に還元される。もはや「バズらない真実」は存在しないも同然とみなされ、沈黙は価値を持たなくなるだろう。

だから、私は言いたい。バズを真実の証明にするのやめてもらっていいですか? 一瞬の熱狂を永遠の真実にすり替えるのをやめてもらっていいですか? 真実は数字ではなく、時の試練を経てこそ証明される。数時間の拡散ではなく、数十年の議論によってこそ確かめられる。それを忘れた社会に残るのは、ただの断片的な叫び声の洪水である。

 

最後に・・・

あなたが信じているのは「真実」なのか、それとも「バズった真実」なのか?