こちらのつづき
前回をざっくりまとめると、
承認と再配分の両方はそれぞれ独立的な概念・枠組みであり、どちらかを達成させても独立しているので他方には影響がない、ということであった。
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経済構造が与える「自己実現・承認要求」への影響
フレイザーは「経済構造」が「文化的不正義」を生むと考える。
まずは、経済と格差に関する考察をまとめる。
社会階級が格差を生んでいるならば、究極的には「政治経済上の不正義」から生じていると指摘する。
例えば、業務上、ホモセクシャルの人がその属性だけで評価され、不正に減給されることはない。マイノリティが被害を受けるのは日常的な「生活」の場面である。ジェンダーの所得格差はあくまで、資本主義に根差した「経済構造」、つまりは性差による「分業」であるとする。
経済上、平等には「再配分」で良いとフレイザーは考える。
次に文化的不正義を説明するために、「承認」についてまとめる。
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フレイザーによれば、偏見とは「誤承認」であるとする。
マイノリティの人々は誤承認によって日常生活が制限される。
女性は男性中心主義により経済的に不当な扱いを受ける
それに対する対処法はどうだろう。
フレイザーによれば、資本主義の社会構造が男女にそれぞれ役割を「形式的に」与え、のちに文化的価値のパターンが形成され、結果的に社会的地位の秩序ができあがり、ジェンダーの問題が生まれるとする。
分配の機能不全と誤承認の問題はどちらも「経済構造」であるとされる。
問題なのは「二重苦問題」である。
例えば、アメリカにおいては「黒人かつ女性」を考えてみると、経済的活動、日常的活動の双方にダメージがいくと考えられる。
単に「再配分」だけでは解決できず、「承認」と結合させた案が必要だとフレイザーは考える。
その案を考えるには「承認」を深堀りする必要がある。
ややこしくなるので先に「承認」と「承認欲求」について書いておく。
心理学では「承認欲求」が語られる。
しかしながら、前回で述べたとおり、「承認」の概念はもともとヘーゲル『精神現象学』から生まれたのであり、マズローが唱える「欲求の5段階説」における「承認欲求」とは根本的に異なる。
しかし、意味としてはお互いににている。
それを考慮した上で、フレイザーは「承認要求 ( ≒ 制度的にマイノリティのアイデンティティを社会から認めてもらいたいという要求)」が「心理学化」されることを懸念する。
フレイザーによれば、「承認」の道徳的基盤に心理学の知見が入り込むと、心理学の「新たな知見」に道徳が「左右」されてしまうとのこと。
フレイザーは一貫して、承認は「再配分」によって解決される、と考えていることに留意したい。何故ならば、前述したとおり、承認の問題(=誤承認)も結果的には「経済構造」に左右されるからである。
再配分のない「承認」は力不足である。
個々、多元化する「承認要求」は、フレイザーによれば「普遍化不可能な地平に依拠している」みたいだ。
一方、
逆の立場を取るホネットは、こう考える。
「承認は自己実現に関わる問題として扱われる」と。
フレイザーは、こう考える。
「文化的価値パターンの枠組みにおいては、結果的に「再配分」を行うことでしか解決しない」
長くなってしまったので、一旦ここでストップしたい。
つづく