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フレイザーvsホネット

こちらのつづき

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

※あくまで独学である。誤読があると分かればすぐに別の記事にて訂正していきたい。

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「承認」の定義を引用

"相手を対等であると同時に独立した存在と見なすような主体間の理想的な相互関係を意味している。"

 

主体=個人

であるので、端的に言えば「皆、お互い違うけれども平等の関係」である。

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本書はフレイザー氏とホネット氏の論争である。

お互いの立場は以下の通り

 

フレイザー「配分と承認は相互に還元不可能」

ホネット「配分は承認の基礎的な構成概念」

 

還元不可能というと分かりにくいが、要するに「配分」で得られた利益、効用などが「承認」には何も影響を与えることができない、と解釈することができる。

 

本書はフレイザーの主張から始まる。

まずは導入部分をまとめたい。

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結論として、まずフレイザーは「集団の差異を承認ではなく解消すべき」と主張する。

 

その根拠としては、「再配分」と「承認」の独立性にある、とする。

再配分は階級の政治と等値であり、承認はジェンダーや人種など、「アイデンティティ・ポリティクス」と等値であるとフレイザーは考えた。

 

 

例えば、何によって格差が生じたのか、何によってマイノリティが苦しんでいるのか、を考えるとすると、

 

黒人差別⇒労働や学問の機会不平等⇒経済格差

の順列が妥当であると考えられる。

一方で、マイノリティには「黒人」といった差別概念の他に、「LGBT」のような概念も存在する。

LGBT」の人々が必ずしも機会不平等を被っているのか、と考えてみると事態の複雑性が伺える。

 

 

政治が「格差の是正=再配分」にシフトし、それが達成した場合、必ずしも「マイノリティに対する偏見」が消えることを意味しない。

また、政治が「マイノリティとマジョリティの平等化=承認の実現」にシフトし、それが達成した場合、必ずしも「格差是正」に繋がることも意味しない。

 

 

これがフレイザーのいう「相互に還元不可能」という意味であろう。

つまり、「承認」の力は弱いので「解消」をすべき、という判断だと考えられる。

つづく