こちらのつづき
前回までで、「承認の要求」に対する基礎づけは大方定まったように思われる。
社会的地位の秩序はいかなる社会構造をもってしても、最終的には「経済構造」によって、不正義と誤承認の相互作用に従い「再配分」と「承認」の両方を必要とされる情勢が形成されることが示された。
次は実践的に、どういうアプローチを練れば良いのかについてフレイザーは考察する。
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昔は、「社会的地位の秩序」がそのまま経済構造に影響を与えた。
例を出すと、奴隷のような位置付けをされた当事者は、経済的にも貧しい立ち位置におかれる。すなわち、地位付けが経済状況に「直接」影響する。
しかし、現代は時代が変わり、もはや地位が経済状況を決定付ける状況にはない。
例:貧しい家庭に生まれる。努力してメジャーリーガーになる。
とはいえ、社会的地位付けが直接経済構造に影響を与えてはいないが、「間接的」に作用することは否定できない。
いうまでもなく、差別の対象である当当事者としては、なんらかの制度化された社会構造によって、部分的に「不利」な状況を強いられることがある。
換言すれば、社会的地位付けによる影響は形を変えて現代社会に存在しているとフレイザーは指摘する。
フレイザーの言葉を引用する。
"経済は文化から自由な領域ではなく、文化を道具化し文化に新たに意味付けしていく領域である"P74
例えば、「男の仕事」「女の仕事」のように、
ジェンダーの意味付けと規範は、文化的秩序付けから持ってこられ、資本家の目的に合わせてねじ曲げられる、という状況がある。
アナウンサーに女性が多いということもその作用だと思われる。
つまりは、「格差社会」と言いながらも、名目上「経済の問題」として存在しているように見えるが、実はアイデンティティや社会的地位付けにも影響を与えているので、「文化的価値のパターン」と「経済構造」が相互に作用していることが確認される。
フレイザーによれば、逆もしかり、とのこと。
(名目上アイデンティティの問題⇒経済の問題)
大事なことは、「再配分の経済政策として見られる」ものが持つ、「文化的次元」の同定を行いつつ実践へ生かすことが肝だとフレイザーはのべる。
つまりは、再配分しつつも、「スティグマ化」を避けながら「承認」もしっかり行うことが重要ということである。
それが「承認なくして再配分なし」ということである、とフレイザーは述べた。
つづく