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承認の要求に関する問い

こちらのつづき

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

こちらを簡単にまとめると、「承認」には「再配分」でしか有効な策はないとフレイザーは考える。

不正義、誤承認は、社会的地位に根づいたものであるとみなす。

問題は、その2つを「同時に」解決することが見込める「案」を見出すことができるかどうかである。

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何回も書いているとおり、フレイザーは、「経済構造」が全ての原因とする。

・文化的価値のパターン⇒誤承認

・不公正な再配分⇒不正義

 

しかしながら、資本主義を「構造自体」から変えることは不可能である。

誤承認と不正義が資本主義の副産物である限りにおいては、経済構造に着目すべきではあるが、現行として不可能であるので(革命が必要になる。)、双方を同時的に解決する方法を模索する必要があるとする。

 

 

承認に着目すると、すぐにややこしい問題にぶち当たる。

承認の「不当な」要求に関する基準付けである。

何をもって、「是正すべき」と判断できるか。

 

 

 

フレイザーは「フランスにおけるスカーフの問題」を例に出す。

※複雑に込み入った議論みたいなので、割愛する。詳しくは「フランス スカーフ 禁止」で検索を。

 

 

スカーフの着用は、イスラムの男性優位主義を「擁護」してしまうがゆえに、結果的にその思想に「従属」することになるとフレイザーは指摘する。

従属するということは、「社会的地位」に影響が出るゆえに、「誤承認」の種になる。この場合においては、スカーフを「拒否」できるように要求することが正当な「承認の要求」にあたると考えられる。

 

 

フレイザーによれば、このケースはスカーフを「象徴」として扱うことでその自体を回避できるとする。

 

 

論点は、スカーフを「着用」することによって、どれほどその人の「社会的地位」に影響が被るかである。

つまりは、「不当な承認の要求」とは、「社会的地位」がどれだけ下がるかが論点とされる。

 

 

この概念に「普遍的な基準はない」とフレイザーは考える。

したがって、「議論の交換」が必須である。

 

 

すなわち、議論を「オープン」にしなければならない。

ここでパラドクスが生じる、とする。

もともと承認されていないマイノリティの人は議論に参加できない可能性がある。これは「機会の不平等」である。

そのためには機会の不平等を是正しなければならないが、そのためにはオープンに議論しなければならない、という循環論法にぶちあたる、とフレイザーは考える。

 

 

1000文字を超えてしまったので、一旦ストップしたい。

つづく