こちらのつづき
前回をまとめる。
資本主義以前の社会構造においては、社会的地位の秩序がそのまま経済構造に影響を与える世界であったが、現代はそうはなっていないとフレイザーは述べた。
現実では、社会的地位がそのまま経済構造に「直接」影響を与えることはないが、「間接的」に作用することを示した。
例えば、ジェンダー問題においては、資本家の目的に沿った形で「文化的価値のパターン」が形成され、「男の仕事」、「女の仕事」といったカテゴリーが生まれ、分化し、それが結果的に、部分的な格差へ繋がることが示された。
具体的な対策を練るには、経済構造上に隠された「文化的次元の問題」を同定することを必要とするとフレイザーは考える。
誤承認を避けることによってのみ再配分は達成される、という主張は一貫している。
つまりは「承認なくして再配分なし」ということであった。
議論だけでは当然、問題は解決しない。
次は制度設計の問題を考察していく。
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何回かフレイザーが述べているように、「議論の平等な参加」が大前提であることを強調したい。
つまり、政治家が民意を無視した「一元的な倫理観」を持っては意味がないということである。
フレイザーは、「民主的正義の制度化」が大事だとのべる。
市民の役割を奪うことはそのまま「誤承認」を生み「不正義」の温床になる。
また、フレイザーによれば、制度設計は「形式主義」を避けなければならないとする。
(形式主義:内容よりも外見、つくろいを重視する主義)
そのうえで、公開討論の「変数」を明確化にしなければならないとする。
また、前回や前々回の記事にて前述した通り、あくまで議論は「参加の平等」が前提である。
その前提を満たすには、いかの2つに留意する。
・経済的障害が「文化的地位秩序付け」にそのまま直結するので、まずはその再配分によって文化的地位秩序の誤承認をさける。
・経済的障害は「社会的地位付け」にも直結するので「再分配」で不公正な配分による「不正義」を抑えることが肝である。
循環論法に陥ると懸念したものの、民主化は維持されていることは以前の記事で述べた。
フレイザーによれば、変数とは「制度の適用に関するもの」とする。
例えば富の分配法、決定権、所有権に関する仕組みに関する制度上の次元である。
これらの変数を公開討論によって、「一元的」、または「一方的」な価値のパターンになることをさけつつ、かつ「表面的」な対策(一律給付など)に陥らないように考慮すべきとする。
1000文字を超えたので一旦ストップしたい。
つづく