プラトン『国家』を読み終えたあと、様々なことに思いを巡らせた。
正義とは何か。
ロールズの『正義論』は全く効果を出していないのでは、そう思うような気がしてならない。
そこにはジェンダーやマイノリティに対する偏見が隠れていたり、制度が不備なところがあったのだろうと感じる。
そして、アクセル・ホネットの「承認論」はやはり大事な理論なのではないかという気がしてならない。
ナンシー・フレイザーは「再配分」と「承認」を切り離した。両者は別々に達成できるとしたが、ホネット反論し、「承認」を優先させた。
例えば、国が「再配分が絶対的に大事だ、2023年から施行する」と宣言したとしても、やはり差別がある限りは「機会不平等」が就労を妨げ、また格差が広がるとしか思えない。
落合陽一氏は「テクノロジーのみが人類を救う」と番組で話していたが、そのテクノロジー自体が格差製造機械となっている可能性については、先ほどの書物からそのことが明るみになった。
彼がどこまで考えを巡らせたのかは定かではない。
なにしろ、有料会員でもない僕はそこまで彼の話を聞いていない。
また、確かに世の中は複雑すぎて答えはみえない。
そうではあるものの、やはり「テクノロジーのみが人類を救う」とはとても思えない。
それ (救うという言葉) には、おそらく「格差を是正する」ことを考慮はされていないだろう。
トリクルダウンに関しても、あまり効果は期待できないだろう。
格差が格差を生んでいるデータが明らかにしているではないか。
そんな気がしてならないのである。
定かではないが、落合氏はあまり物事を考えていないのではないか、という気もしなくはない。
つづく