ニーチェ『ツァラトゥストラかく語り』のつづきと、
『悦ばしき知恵』のつづきを読む。
悦ばしき知恵のほうは読みづらい。
眠気と戦いながらも本書に書かれていたこと、とくに今日はニーチェが言う「徳」の性質を私は理解した。
端的にいえばニーチェは、徳が社会の発展のための道具として存在していると踏んでいた。
そしてデヴィッド・グレーバー『負債論』において、ニーチェが重要だとされていた理由も部分的には理解できた。
グレーバーは、部分的には道徳によって「ブルシット・ジョブ」が発生すると見ていた。
徳は倫理と道徳に分かれる。
池田晶子氏の考えに沿えば、マクロは道徳でミクロは倫理。
ニーチェは社会と徳の関係性について述べているので、ニーチェのいう徳は道徳であると考えられる。
言葉は別の言葉によって説明される。
円環構造を成していて、単語の意味はまた別の単語によって定義される。
本もそうではないだろうか。
一冊の本の意味はまた別の本によって説明される。
今回はニーチェとデヴィッド・グレーバーの接合部をこの目で確認することができた。
収穫のある朝であった。
つづく