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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

判断の主権

秋晴れの光はやさしいのに、画面の向こうはいつも急いでいる。タイムセールは秒を刻み、通知は呼吸を奪い、レコメンドはまだ名づけていない渇きを先回りして整列させる。いま必要なのは、世界を全否定する激しさではない。私たちの「判断の主権」を、せめて自分の手のひらに戻すための、しぶとい反復だ。アドルノが見抜いたのは、文化産業が欲望そのものを悪魔化するのではなく、速度と同一化の回路に編入する仕方だった。私たちが失っているのは道徳心ではなく、テンポを選び直す権利だ。
だからまず、遅くする。遅延は怠慢ではない。急がせる設計に対する静かな不服従である。夜に決めることをやめ、翌朝に審理する。覚めた頭で、昨日の「これが欲しい/いま言いたい/すぐやりたい」をもう一度眺めると、騒いでいたのが渇きそのものではなく、渇きに寄り添って踊っていた音楽——不安、孤独、承認欲、疲労——だったとわかることがある。私はそれを星座のようにメモする。ひとつひとつの点は小さいが、つないで見ると別のかたちが立ち上がる。名づけは支配ではない。名づけは距離であり、呼吸だ。
つぎに、計らない時間を一日のどこかに埋め込む。音楽でも詩でも、近所の木立でもいい。成果ゼロの二十分を、数字に還元しないまま通過させる。文化産業が最も得意なのは、あらゆる体験にメーターを取りつけ、比較可能にすることだ。私たちは知らぬうちに、読書時間を生産性で測り、休息を「回復効率」で評価し、他者との関係までも“コスパ”に変換する言語に同一化していく。アドルノの言う「非同一化」は、難解な比喩ではない。メーターを一枚だけ外し、説明不可能な余白を、余白のまま置いておく勇気だ。
それから、関係の扱いを変える。相手を「使えるか」で測らず、他者性として受け止める訓練を生活の単位に落とす。私は二つの問いを携える。役割を入れ替えても耐えられるか(可逆性)。明日説明できるか(公開性)。この二つは堅い戒律ではなく、傷つけ合いを最小化するための、携帯サイズのミニマ・モラリアだ。答えに詰まるなら、その場のテンションが決めているだけだと考え、いったん降りる。降りることは負けではない。私たちが守りたいのは「正しさの勝利」ではなく、「取り返しのつく世界」だ。
環境も設計し直す。通知を一度に全部切らなくていい。まず三つでいい。ニュース、SNS、ECのどれかから二十四時間離れてみる。広告を見かけたら、すぐ嫌悪しないで翻訳する。「これは何の不安を刺激し、どの商品へ私を誘導している?」と書き換えてみる。翻訳は、支配に対する礼儀正しい抵抗だ。ショッピングカートに物を置く前に、計算機を出す。値段を自分の時給で割る。私はこの選択に、生命時間の何時間を渡すのか。それは、今週のどこから削ってくるのか。お金は数字だが、支払うのは時間である。時間は、返品不可の贈り物だ。
孤独についても、演出から離れて考える必要がある。賑わいのテンポは私たちの判断を早める。盛り上がるべき夜ではなく、静かな午前に会う。飲酒や騒音の中で合意を決定しない。花火のような高揚は美しいが、灰になった後に何を手元に残すのかまで含めて、約束を設計する。私たちが欲しいのは「刺激」ではなく、「関係が続くための工夫」だ。後からのケアを、倫理の外に追いやらない。事実・感情・次の一手、たった三行でいい。小さな修復を行為として予定に入れておく。やってしまった後に、はじめて倫理が姿を見せることがある。
私は英雄になろうとしていない。必要なのは、マイクロ・ソブリンだ。食卓の上、通勤路、ベッド脇の充電器、レコメンドの並ぶ画面、その局所でだけ機能する主権の回復。週に一度、五分間の点検をする。「今週の一勝」「一敗」「一修正」を書く。一勝は、自分で自分を褒めるためではない。再現可能な設計を見つけるための記録だ。一敗は罰のためではない。環境の罠をもう一度設計するための素材だ。一修正は、ルールを一つだけ変えるという約束だ。たくさん変えないほうが、変わる。文化産業が“大量の新しさ”で私たちを攪拌するのなら、こちらは“微量の更新”で日常を引き戻す。
「正しくない生のもとで正しく生きることはできない」——この冷たい文は、諦めの宣告ではない。だからこそ、私たちは「不正を最小化する」日々の細工を続けられるのだ。買わないこと、言わないこと、送らないこと、押さないこと、開かないこと。否定形の列挙は窮屈に見えるが、その背後には肯定が隠れている。遅らせるから味わえる。計らないから残る。手段化しないから関係が立ち上がる。急ぐ世界で立ち止まると、風の音が増える。誰に見せるでもない時間の厚みが、少しずつ戻ってくる。主権は旗ではなく、歩幅である。歩幅を合わせるのは、世界ではなく、自分の呼吸だ。
秋の光はやさしい。だから、今日はひとつだけでいい。夜の判断を朝に移す、通知を三つだけ切る、成果のない二十分を置く、値段を時間で換算する、会う時間を静かな午前に移す、広告を翻訳してみる、三行の修復メモを書く。どれでもいい。どれか一つを淡々と反復する。小さな不服従は、やがて生活のテンポを変える。テンポが変われば、欲望の形も、関係の輪郭も、孤独の響きも、同じではいられなくなる。世界のスイッチを切ることはできないが、こちらの歩調を取り戻すことはできる。