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読書日記394

田晶子『オン!埴谷雄高との形而上対話』講談社 (1995年) と、

フランクル『虚無感について』のつづきを読む。

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

 

埴谷雄高の『死霊』は簡単ではない。

故に、挫折して積読のままになっている。

池田晶子いわく、「あんな人は他にいない」「埴谷雄高は我々と同じ人類ではないぞ」である。

こちらからすれば、二人とも別次元の人間である。

しかしながら、素人でもこの二人の生き方について知ることくらいはできる。

 

 

フランクルニーチェの言葉を引用する。

”「生きる理由 (why) を持っている人は、ほとんどどのような事態 (How) にも耐えることができる。」” P82

 

 

池田晶子氏は自殺に関して言及していた。

「善く生きるということを、人は人生を通して示さなければならない。

自ら命を経つということは、善く生きるとは何か、という問いを放棄することである」と。

nainaiteiyan.hatenablog.com

 


池田晶子氏はエッセイで「生きていることなどどうでもよくなってきた」と書いている。

それでも「善く生きる」ということだけは貫いた。

最後はガンで亡くなったとされる。

 

 

私は初めてバイト代で本を買うようになった頃、ある言葉に出会った。

「人は簡単な理由で死ぬが、簡単な理由で生きることができる」

 

 

しかし、フランクルであればそんなことは言わないだろう。

ニーチェのいう「生きる理由」というものは、おそらく池田晶子氏のような理由と同じくらい固いものである。

 

 

しかし固さは時に脆くもなる。

柔軟性のある「生きる理由」とは何か。

 

 

つづく