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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

読書日記995

ハーマン・メルヴィル『ピェール 黙示録よりも深く (下) 』幻戯書房 (2022)

サラ・サリー『シリーズ現代思想ハンドブック:ジュディス・バトラー青土社 (2005)

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メモ

 

"彼がより賢明で、思慮深くなればなるほど、日々のパンを得る機会が減ってゆく。それなら、自分の深淵な書を窓から放り捨て、いくらか身を落として、長くてもせいぜい一か月で書き上げることのできる、かなり薄っぺらなくだらない小説を書いてみたらどうだ。そうすりゃ、称賛と報酬をほどよく期待できる。しかしピェールの心を貪り食うような深淵な思想が、今や彼の心の中で口を開け、その全精力を消費しているのだ、そんな彼が明快で楽しいロマンス小説を書き散らして、読者を楽しませたり、利益を上げるような浅薄な所に留まることなどどうしてできるというのだ。" (『ピェール 黙示録よりも深く (下) 』P198 )

 

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日記

 

今日は限られた時間をほぼ全て『ピェール 黙示録よりも深く (下) 』の読書に捧げた。

通勤時間の移動中、帰りの電車、夕食後の時間はこの本に打ち込んだ。

結果的に100ページ以上は読み進み、260項まで読み進んだ。この小説は310項ほどで完結するので、明日にはほぼ確実に読み終えるだろう。

 

 

本書に関する全体的な感想は明日に持ち越したい。

今日はメルヴィルの作家論が語り手を通して明るみになったように思う。

そのひとつがメモに残した以上の記述である。

 

 

下巻では、主人公のピェールは恋人を連れ家を出て、作家として生計を立てることになる。

メルヴィルは、作家は読書ばかりしていては無意味であるということをハッキリと本書のなかで書いていた。

ドキッとしてしまった。これは自分に対する教訓であると受け取った。

読書日記もそろそろ1000になる。以後の活動について再考したいところである。

 

・・・

 

デリダは、「差異」と「遅延」を合体させ「差延」という言葉をつくり、言語の意味は決定不可能性であり不在であるとした。

その考え方は、精神は「絶対知」へと向かうものであると記述したヘーゲルの考え方と対立するものである。

換言すれば、デリダは言語上の不可能性が、それが「主体」が未完で終わることを意味する、と主張したわけである。

 

 

ジュディス・バトラー』を読み進め、バトラーの仕事は、ポスト構造主義ドゥルーズフーコーデリダその他複数の思想家)の一連の思想を整理し、「主体」という概念を再構築しているように見えた。

 

 

・・・

 

たしか精神分析に関する本を立ち読みしたときだったろうか、「言葉について考え直さなければならない」というようなことが書かれていた。

なにを今更、と率直に感じた。

精神分析が行き詰まっているように見えるのは(精神医療は認知行動療法が主流である。また、この心理療法は唯一心理療法のなかで診療報酬の対象である。)言葉というものに対する考え方のズレであるように思えた。

 

 

前にも書いたように、自身の経験から、認知行動療法の強みは「言葉を正しく使用する=認知の矯正」であるように考えている。

 

つづく

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