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メルヴィル『書記バートルビー/漂流船』読了

 

メルヴィル『書記バートルビー/漂流船』光文社古典新訳文庫 (2015)

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感想

 

『ピェール』につづいてこちらも読んでみることにした。

バートルビーについて書かれている本があったので気になっていた。

漂流船のほうはまだ読みていないが、書記バートルビーのほうは本日読み終えた。

 

・・・

 

簡単なあらすじとしては、語り手は法律事務所に勤めており、仕事が増えたためさらなる書記が必要となった。その時にバートルビーが雇われ、バートルビーとの不思議な生活が始まる。

バートルビーは常に「そうしない方がいいと思います」と返事をし、雇われ始めた頃は多少の仕事をしているようであったが、次第に「そうしない方がいいと思います」という発言ばかりが増え、彼は職務を拒絶し、ついにバートルビーは法律事務所から追い出される。

 

・・・

 

 

読み終わってから解説を読むと、読者はバートルビーに対して「不適合」な人間として何の疑いもなく思うように仕掛けられていると書かれていた。

ここで大学の講義で観たチャップリンの、痛烈な風刺の効いた映画を思い出した。

工場のなかでは人間も機械と変わらないことを端的に示していたコメディであったと記憶している。

一応のところ、『書記バートルビー』は神ではなく「金」を崇拝してしまうようになった社会への風刺という位置付けになっているようである。

 

 

物語の終盤ではバートルビーの経歴が明かされ、ある程度の伏線が回収される構成にはなっているが、個人的に、終盤はインパクトが多少あったにせよ、むしろ余計に謎、闇が深まる最後であった。

 

 

・・・

 

 

ディオゲネスを思い出した。

ディオゲネスは厳密には「浮浪者」ではない。ジェ二ー・オデル『何もしない』で書かれていたことは、ディオゲネスは街をふらふら徘徊するのではなく、「空気を読まない」ことを実践し、究極的な自由を求めた人物であると描写されていた。

これがバートルビーと重なって見えた。

 

 

自分も時々街の構造について思うことがある。

コロナ禍もあってか、とにかくベンチが少ない。

ベンチとはいわずとも、とにかくリラックスして座れる場所が少ない。

一旦改札を出れば人の流れに否応なく溶け込まされ、常識的にはエスカレーターで右側で立ち止まることもまだ躊躇する世の中である。

 

 

人の流れは恐ろしい。

たしかに地べたに座れば品格に欠ける。しかし疲れはてた夜に、ベンチに座れず満員電車でも座れずではやはりサラリーマンは大変なものである。

 

 

都会は全体的にはリラックスできる環境が弱い気もする。

お金を払ってリラックスできる空間についてはここでは語らない。公共的なものを問う。

公共的なものがビジネスに取って換わるとどうなるのかという問題について、この小説から考えさせられるように思う。

 

 

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関連図書

 

ハーマン・メルヴィルの本

 

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