亀山郁夫『ドストエフスキー 黒い言葉』集英社新書(2021年)を読む。
『夜と霧』を読んだあとにドストエフキーに触れると、思うことはある。
ドストエフキーの書く小説は悲劇や苦悩に満ち溢れている。
フランクルは、「苦悩とは何かを成し遂げている証」と述べた。
そして、この言葉は皮肉か否か、ドストエフスキーは見事に「成し遂げた」人物となった。
だからこそ余計にフランクルの言葉は際立つのではないだろうか。
「人生はどんな状況にも意味はある」
こういうことを書くと、何かを成し遂げることが人生の意味であると勘違いする方が出てくるかと思う。
そうではなく、フランクルは「死」をも含めて以上の言葉を書いた。
個人的には、そのフランクルの言わんとしていることを、勿論理解しているとは思っていない。
フランクルは『夜と霧』のなかで、名もない、「小さな死」についての話しか書いていないとハッキリ書いている。
ドストエフスキーは極端に人生を悲観視しすぎているようにみえる。
だから、この偉大な作家の小説はあくまで「フィクション」として捉えつつも、やはり実際に「苦悩」で満ち満ちた人物による言葉は「本物」であることは間違いないだろう。
つづく
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この本と関係のある本
亀山郁夫『人生百年の教養』